Entries

室町小歌(一)閑吟集と宗安小歌集

 詩歌の豊かな流れに交わりあう歌謡を、古代から平安時代末の『梁塵秘抄《りょうじんひしょう》』まで聴きとってきました。続く時代に支流として生まれ本流に注ぎこみ、そのゆらめきをゆたかにしてきた歌謡を、今回から取りあげます。
 最初は数回にわたり、室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっていきます。出典は、『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』の北川忠彦による訳文と解説「室町小歌の世界―俗と雅の交錯」です。著者の室町小歌についての深い理解と愛情がわかりやすい言葉で記されていて共感します。出典の言葉と小歌そのものに私が感じとり考えることができたことを記していきます。

1.『閑吟集《かんぎんしゅう》』所収の有名な歌をのぞくと、私自身がこの時代以降の歌謡についてよく知りませんでしたので、まず、その大きな流れを感じとります。揺れている主な歌謡集は、『閑吟集』、『宗安小歌集』、隆達節《りゅうたつぶし》歌謡です。その概要は次の引用原文①で知ることができます。
 著者が特色にあげている「巧みな連想や連鎖語による配列をみせているところ」から私は歌集としての『閑吟集』に惹かれます。歌謡集としての構成意識、小歌の並びにある流れと響きあいは、詩集一冊をまとまりのあるひとつの作品と考えるわたしに共感を呼び覚ましてくれます。(当時隆盛だった連歌《連歌》の影響を受けているとされますが、連歌は別の機会に見つめたいと思っています。)

●出典原文の引用①

☆『閑吟集』と『宗安小歌集』

  『閑吟集』は永正十五年(1518)の成立、『詩経』に倣《なら》って三百十一首の歌謡を収めているが、勅撰集の春・夏・秋・冬・恋の部立てを下敷きにした上に、巧みな連想や連鎖語による配列をみせているところに特色がある。各歌には歌の種別を示す、朱書による肩書が付されているのも貴重である。その中で一番多いのは「小」、すなわち小歌、続いて多いのが「大」、すなわち大和猿楽《やまとさるがく》(謡曲)の一節を謡物《うたいもの》にしたもので、この二つを合わせると全体の九割を占める。
 肩書によって知られるそのほかの謡物を記しておくと、近江猿楽 二首、田楽能 十首、狂言歌謡 二首、放下歌 三首、早歌 七首、吟詩句 七首、がある。(略)

  『宗安小歌集』は笹野堅氏によって発見された無名の巻子本《かんすぼん》で、昭和六年『室町時代小歌集』の名で紹介された。現在では『宗安小歌集』の名が定着している。全二百二十首、すべてが小歌である。幾つかの個所で何分《なにぶん》かの配列を考えたらしい跡はあるが、『閑吟集』のような連鎖方式による全体的な構成はみられない。(略)本書の成立年代もはっきりとは定めにくいのであるが、編纂《へんさん》時期、筆写年代がいつであったにしても、内容からみてこれが『閑吟集』からは後、そして隆達節歌謡、特に隆達節小歌よりは若干さかのぼる時代のものということはいってよいようである。(略)

 室町小歌の終曲でもあり、同時に近世歌謡の序曲でもある隆達節歌謡は、文禄・慶長の頃堺の高三《たかさぶ》隆達(1527~一1611)の節付けをした小歌群のことである。完本と断簡を合わせて三十余種の歌本《うたほん》が残っており、そこから重複歌を省いて五百余首の歌が知られる。(略)歌本に草歌《そうか》(早歌)と小歌の別が(略)ある。隆達節草歌は百十八首、隆達節小歌は約三百九十首、(略)両者の間には画然とした別がある。(略)                              
(引用①終わり)。

2.これら三つの歌謡集の流れは、口承の田植草紙系歌謡や、『山家鳥虫歌』をはじめとする近世の民謡集へと受け継がれていきます。出典著者の北川忠彦は、この流れの波である歌謡が、「歌唱することによって伝承され」「歌いつがれるうちに、」変化していく様子を教えてくれます。彼は、「小歌本来の素朴で巧まぬ独特の迫力が次第に薄らいでくる」と感じ取り主張します。

 私はこの箇所から、この著者は「中世の小歌ごころ」を深く理解し愛情をもって感じていることが強く伝わってきました。
彼は歌謡の良さ、歌ごころを、とてもよくわかっていると共感します。つぎの言葉は、時代を超えて変わらない歌、歌謡の本質を捉えていると私は思います。
 ① 「説明的になり」「形式が整う」「第三者による叙述」は、半面で、散文化すること、感動の「迫力が薄らいでくる」ことでもある。
 ② 「中世の小歌ごころ」は「室町小歌に溢《あふ》れる訥々《とつとつ》切々《せつせつ》とした響きを通しての不定型の魅力」、「素朴で巧まぬ独特の迫力」、「我が思いをぶちまけ、しかもそれがそのまま読者に伝わってくるという迫力」にある。
 ③ 「七七七五調(更に分解すると三四・四三・三四・五調)は時代が降るにつれて近世歌謡の基本形態として広まって行く」。「七七七五調は軽快・流暢《りゅうちょう》」だが、「形式的に整えられ過ぎた感があって」「歌に遊ぶという気分が強く」「単に歌の上での一つの趣向に終ってしまって」、「小歌本来の素朴で巧まぬ独特の迫力が次第に薄らいでくる」。
 
 中世の小歌ごころが好きか、近世のより洗練された歌謡が好きかは、読者の好みです。それを心で感じとり波立たせるのが、歌謡、詩歌、文学の喜びです。小歌ごころに心揺らしたいと私は思います。

●出典原文の引用②

 こうした歌謡は原則として歌唱することによって伝承されるものであるから、歌いつがれるうちに、そこには自然と詞章の変化が生じてくる。これらの小歌の流れの変化を辿《たど》ってみると、『閑吟集』、『宗安小歌集』、そして隆達節、近世歌謡と降《くだ》ってくるにつれて、小歌本来の素朴で巧まぬ独特の迫力が次第に薄らいでくるのが感じられるのである。

   後影《うしろかげ》を、見んとすれば、霧《きり》がなう、朝霧が (167)
   【訳】あの方の後ろ姿を見ようと思うのに。霧が、朝霧が立ちこめて・・・・・・。

という、朝霧の中に恋人を送る『閑吟集』の歌が、後には、

   帰る後影を、見んとしたれば、霧がの、朝霧が (*29)

   帰る姿を見んと思へば、霧がの朝霧が (隆達節小歌)
と変化する。近世初頭に試みられた狂言『花子』の別演出『座禅』(大蔵虎明『万集類』所収)においては、
   はるばると送り来て、帰る姿を見んと思へば、霧がの、朝霧が
と、一層説明的になり、さらに近世民謡集『山家鳥虫歌』(明和九年刊)ともなると、
   情《なさけ》ないぞや今朝立つ霧は、帰る姿を見せもせで
とあって、形式が整う半面、原歌にうかがえた霧の中を去って行く恋人の姿をやるせない気持で追い求めている女の心の嘆きが、その七七七五の律調の中に封じこめられてしまった感があり、読者の方に迫ってくるものが薄らいでしまっているのは否めまい。

 その点からいえば、田植草紙系歌謡『田植由来記扞ニ植哥』朝歌一番(広島県山県郡芸北町)等の、
   君の朝立ち見《みヨ》うにも、霧が深うて
という一節のほうが、はるかに原歌の雰囲気を伝えていよう。(略)『山家鳥虫歌』は作られた民謡、これは自然と成った民謡という感じである。田植草紙系歌謡は口承によるものだけに、明確な時代的位置づけは困難であるが、そこには明らかに室町小歌とも通じるものがここかしこに見出せるのである。

「待つ恋」の歌がある。

   一夜《ひとよ》来《こ》ねばとて、咎《とが》もなき枕《まくら》を、縦な投げに、横な投げに、なよな枕よ、なよ枕 (178)
   【訳】ただ一晩来てくれないからといって、罪もない枕を、縦に投げ横に投げしながら、「なあ枕よ、なあ枕、私の辛い心を察してくれよ」。

 これはほぼ同じかたちで『宗安小歌集』*108にも伝えられているが、隆達節小歌では、
   悋気心《りんきごころ》か枕な投げそ、投げそ枕に咎《とが》はよもあらじ
と変化し、原歌にみられる、作者がおもわずも投げかけた枕への訴えを切り捨て、第三者による叙述に後退している。律調も七七七三五とあって七七七七五調へと整備される気配をみせるが、それだけに歌に遊ぶという気分が強くなる。
 これが降って近世前期の『御船歌留』(上、冨士の裾野)では、
   様《さま》が来ぬとて枕を投げそ、投げそ枕に咎もなよ、へ
と完全な七七七五調となり、文政五年(1822)刊の『賤《しず》が歌袋《うたぶくろ》』(五)ともなると、
   腹が立《たつ》とて枕を投げな、枕咎ないいつとても
としてその後に「人が不徳なりとて、我《わが》胸に炎《ほむら》を燃やし、怒《いかる》とは何事ぞや」云々《うんぬん》と教訓の材料に用いられるに至り、中世の小歌ごころはここに完全に喪失してしまうのである。

 このように七七七五調(更に分解すると三四・四三・三四・五調)は時代が降るにつれて近世歌謡の基本形態として広まって行くのであるが、室町小歌でこの三四・四三・三四・五調に当てはまるのは、

  濡《ぬ》れぬ前《さき》 こそ露《つゆ》をも厭《いと》へ、濡れて後《のち》には兎《と》も角《かく》も (*62.隆達節草歌にも)
   【訳】濡れる以前はわずかな露に触れることさえ嫌だったが、このように一度濡れてしまった以上は、ハイ、お心任せに。

くらいであろうか。それが隆達節小歌ともなると、
   交はす枕に涙の置くは、明日の別れが思はれて
   夢になりとも情はよいが、人の辛《つら》さを聞くもいや
   恋をさせたや鐘《かね》つく人に、人の思ひをしらせばや
というふうに幾つかの例が見出せる。

 この七七七五調は軽快・流暢《りゅうちょう》という感は伴うけれども、特に恋歌の場合は形式的に整えられ過ぎた感があって、室町小歌に溢《あふ》れる訥々《とつとつ》切々《せつせつ》とした響きを通しての不定型の魅力には及ばない。右の最後の歌なども、同じ後朝《きぬぎぬ》の別れを歌った、

   待つ宵《よひ》は、更《ふ》け行く鐘を悲しび、逢《あ》ふ夜は、別れの鳥を恨《うら》む、恋ほどの重荷あらじ、あら苦しや
 (69)  【訳】恋人を待つ夜は夜更けを知らせる鐘の音を恨めしく思い、逢った夜はまた別れの時刻の近づいたのを知らせる夜明けの鶏を恨めしく思う。恋ほどの心の重荷はあるまい。ああ苦しい。

   鳥はあはれを知らばこそ、人の仕業《しわざ》の鐘ぞ物憂《ものう》き (*178)
   【訳】夜明けの別れを報せるのは、鶏と鐘の音。「もののあはれ」を知らぬ鶏は仕方ないとして、人情を解するはずの人間
が打ち鳴らす鐘は考えるだに情けない限り。

と比べてみるがよい。これらが待宵小侍従《まつよいのこじじゅう》の古歌をふまえつつも鐘をつく人や鶏に我が思いをぶちまけ、しかもそれがそのまま読者に伝わってくるという迫力をもつのに対し、隆達節小歌はそのなめらかな調子の中に自分の恨みが埋没してしまった感がある。そして鐘つく人に恋の体験をさせてみたいという思いも、単に歌の上での一つの趣向に終ってしまっている。歌謡の流れを鳥瞰《ちょうかん》してみると、隆達節歌謡あたりを境にして、ようやく小歌の時代が遠去かって行くことが知られるのである。 
(引用②終わり)。

 次回は視野を広げ、この小歌を愛した人々が生きた時代をみつめてみます。

出典:「解説 室町小歌の世界―俗と雅の交錯」『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』(校注・北川忠彦、1982年、新潮社)
*読みやすいよう、ふりがな、数字、記号、改行などの表記を変えた所があります。ふりがなは《 》内に記しました。( )内の洋数字は小歌集の歌の通し番号、または西暦です。引用歌謡には、出典の訳文を【訳】として付記しました。
関連記事
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
https://blog.ainoutanoehon.jp/tb.php/189-f305b619

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

最新記事