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室町小歌(四)一期は夢よ、ただ狂へ

 室町時代の小歌《こうた》集『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとってきました。出典は、『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』の北川忠彦による訳文と解説「室町小歌の世界―俗と雅の交錯」です。
 最終の今回は、出典の「うき世賛歌」の章に描き出された、室町小歌を生みだした時代・世相と歌い踊った人たちの心をみつめ考えます。

 『閑吟集』で最も有名なよく引用される小歌は、おそらく次のものです。

何《なに》せうぞ、くすんで、一期《いちご》は夢よ、ただ狂へ (55)
【訳】どうする気だい、まじめくさって。所詮《しょせん》人生は夢よ。遊び狂え、舞い狂え。

 それまでの時代の詩歌、歌謡にはなかった、あたらしく、とても強い響き心に残る言葉だと感じます。このような鮮明な変化、なかった声が生まれ出た背景には、大きな時代、社会の変動、生活、生き方の変化があったのだと思います。
 私には著者の次の言葉がとても新鮮でした。室町の時代の人々をこれまで漠然としたかたちでも私が思い浮かべられなかったのは、その時代の心がふるえる歌を聴きとり文化を学ぶことをしなかったからだと思いました。
「室町びとの心は明るい。無常を観じても失恋を歌っても、そこには何か楽天的な心が感じられ、時にはとぼけた味さえ漂う。我々が知らず知らずのうちに抱いている”暗い中世”という観念とは違った、外部に開放された中世の人の心がそこにはある。」

 著者は次のような歴史の事実があったと教えてくれます。
●室町小歌の歌われた時代の人びとが、熱狂して、群れとなり、踊ったこと。
●群集の踊りの高揚感、興奮がエスカレートして、小歌や踊りが為政者によりしばしば禁止もされたこと。
●旧《ふる》い体制側からすれば、新しい音曲は「亡国の音」であり「淫声」だとみなされたこと。
●旧体制の規範下の世界とその外側の世界では、人の心ががらりと変っていて、新しい音曲は人の心にひろがったこと。

 私はこれらのことから、人の心そのものである歌謡と、時代・世相・政治の相互関係について、改めて次のことを考えました。室町小歌の時代から幾度も繰り返されてきたことだからです。
◎いつの時代にも人は心が共感でき感動し胸がたかまる歌、歌謡が好き。
◎政治屋や軍人や為政者は、人の心をも統制し縛ろうとする愚かなことを繰り返す。戦時中に文学報国会のように。
◎政治の散文思考には、文化を創造する心の自由、豊かな想像力・発想・感受性が、理解できずつかめないから、禁止し統制したがる。
歌、歌謡、文学を好きだという人の心、あたらしい感動を生み伝え合う心を、政治では制御も統制もできない。
粗雑な統制の檻(おり)から染み出しひろがっていき、やがてその檻は崩れ落ちる。新しい音曲は人の心に必ずひろがる。

 著者のまとめの言葉は、室町小歌を生みだした時代・世相と歌い踊った人たちの心をよく映し出す泉となっていると思います。私もこれらの歌を聞き返すことで、より感じとれるようになりたいと願います。心の水脈は私も心に時を越えて流れ込んでいるのだから、それは自分の心をより深く知ることでもあると私は考えます。
 「室町小歌は、人びとが規範に捉《とら》われず虚飾をふり捨て、現実生活での生き方を肯定した時代のものということになろう。都と地方、雅と俗、現実と無常、そうしたものが程よく雑居し融合されつつ歌声化されたもの、それが『閑吟集』であり、『宗安小歌集』だったのである。」

 次回は、出典引用の後半に記されている、室町歌集の下流に生まれた「隆達節(りゅうたつぶし)歌謡」や近世歌謡を見つめていきます。

●以下は出典原文の引用です。

 ☆ うき世賛歌

 小歌を口ずさむ室町びとの心は明るい。無常を観じても失恋を歌っても、そこには何か楽天的な心が感じられ、時にはとぼけた味さえ漂う。我々が知らず知らずのうちに抱いている”暗い中世”という観念とは違った、外部に開放された中世の人の心がそこにはある。
只吟可臥梅花月、成仏生天惣是虚 (9) 
ただ吟じて臥《ふ》すべし梅花《ばいくわ》の月、仏《ほとけ》となり天に生《しやう》ずれど、すべて是《こ》れ虚《きよ》
【訳】寝転んで詩を吟じつつ月下の梅を賞美するがよい。成仏して天国に生まれたところで、結局はすべて帰するところ「無」ではないか。

のように、この世を虚とみ夢と歌っても、それを一転して現実謳歌《おうか》に切り替える姿勢がみられる。
『閑吟集』(49)~(55)の一連の歌にそれがよく現れていよう。

世間《よのなか》は、ちろりに過ぐる、ちろり、ちろり (49)
【訳】世の中はちろっと過ぎて行く。ちろっと瞬《またた》くその間に。

何《なに》ともなやなう、何ともなやなう、うき世は風波《ふうは》の一葉《いちえふ》よ (50)
【訳】どうってこともないんだよ、うき世は。風に吹かれる木の葉のようなものさ。

何《なに》ともなやなう、何ともなやなう、人生七十古来稀《こらいまれ》なり (51)
【訳】おやまあほんに、私も何時《いつ》の間にか七十歳、古稀《こき》とやら。どうってこともなく過ごして来たんだが。

 世の移り変り、時の過ぎ行くのをチロリといった感覚で捉《とら》え、「一葉の翻へる、風の行方《ゆくへ》を御覧ぜよ」(謡曲『放下僧』)といった禅の教えも「何《なアン》のこったい」と問題にしない。古稀に達した七十年の歳月をふり返っても「おやまあ驚いた、いつもまにやら」という、何のこだわりもない思いで我が人生を総括する。この三首に続いて、

ただ何ごともかごとも、夢まぼろしや水の泡《あわ》、笹《ささ》の葉に置く露《つゆ》の間に、味気《あぢき》なの世や (52)
【訳】この世はすべて夢まぼろし、水の泡のように、また笹の葉の上の露のようにはかないもの。その一時《いっとき》の夢
の世をどうやって生きろっていうの。

がある。(52)は一見したところ、この一連の中でこれだけが例外的に正面から無常を嘆いている歌のようにみえるが、結句の「味気なの世」に「無益だ」「どもならん」の意をみてとればまた意味が変って「この世は夢まぼろし、じれったい、しょうもな」の意となって前後の歌につながる。そう解してはじめて編者の意図も生きてくるのではないか。同じような「味気な」の例には、

天に棲《す》まば比翼《ひよく》の鳥とならん、地にあらば連理《れんり》の枝とならん、味気なや (*204)
【訳】「天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝」っという句が白楽天の「長恨歌《ちょうごんか》」にあるが、まことに詰《つ
ま》らぬ話だ。この世で添い遂げられなくっては何にもならぬ。

がある。白楽天の「長恨歌《ちょうごんか》」の名文句を、天上で結ばれたとて何になる、木に変身して愛を契るなんて無意味《ナンセンス》ではないか、この世の人間として添いとげなくっては―ときめつけている。そして(53)で夢幻・無常の世の中を、南無三宝、大変だアと茶化してみせた上で、いよいよ歌声は積極的に現実の謳歌へと向かう。

くすむ人は見られぬ、夢の夢の、夢の世を、うつつ顔《がほ》して (54)
【訳】まじめくさった人なんて、見ちゃいられない。夢、夢、夢の世の中を、一人醒《さ》めたような顔をして。

何《なに》せうぞ、くすんで、一期《いちご》は夢よ、ただ狂へ (55)
【訳】どうする気だい、まじめくさって。所詮《しょせん》人生は夢よ。遊び狂え、舞い狂え。

この二首の間に、

ひよめけよの、ひよめけよの、くすんでも、瓢箪《ひよたん》から馬を、出す身かの、出す身かの (*122)
【訳】馬のようにこの世を跳《は》ね廻る気分で生きていこうよ。まじめくさって振る舞っても「瓢箪《ひょうたん》から駒《こま》
を出す」ような身でもあるまいから。

を置くと、一段とよくその心が理解出来るであろう。くすむ人、つまりまじめぶった人なんて見ちゃいられない、とひょめけひょめけとけしかけておいて、最後に「ただ狂へ!」、踊り狂え、舞い狂えと煽《あお》り上げたところでこの一連のうき世賛歌は終る。

 『慶長見聞集』(五)に「夢の浮世にただ狂へ」とあるに同じく、これらの歌の行く手に慶長九年(1604)八月の「豊国大明神臨時祭礼図屏風《びょうぶ》」中に描かれた熱狂する人びとの踊りの群《むれ》をみてとってよいであろう。
こうした小歌や踊りは、それらが余りにエスカレートしたためか、しばしばしばしば禁止もされたようである。かつては白拍子《しらびょうし》の歌が「亡国の音」とされ、曲舞《くせまい》が「乱世の声」と評されたこともあった(『続古事談』二、『東野州聞書』等)。
 小歌についても同様で、桃源瑞仙《とうげんずいせん》の『史記抄』(文明九年成)には、(略)「モトノヨイ楽ヲバセイデ、小歌バカリウタウヤウナル淫声ヲスルゾ。」と注している。
 楽人豊原統秋《むねあき》の『體源鈔《たいげんしょう》』(三上。永正九年成)にも、当道に従うべき輩が「学文《がくもん》に心ざしはなくて、そぞろなる小哥《こうた》、あやしの乱拍子のうたひものの双紙取出し、隣家にいかなる人の聞く事もやともいはず、ねぢすぢりうたひ高声に物語など」するのを嘆いている。
 こうしてみると五山においても貴神の間においても全面的に小歌に対して好意的であったとはいえぬようである。
旧《ふる》い体制側からすれば、新しい音曲はやはり「亡国の音」であり「淫声」であった。
ただ時代は一つの転換期にさひかかっていたことは事実で、慶長八年九月二日禁裏において外様番《とざまばん》壁書五条の一として「小歌、舞、謡」が「雑人共悪狂ひ」とともに停止されたが(『慶長日件録』)、豊国臨時祭礼で群集が歌い踊り狂ったのはその一年後のことであった。ということは旧体制の規範下の世界とその外側の世界では、人の心ががらりと変っていたということであろう。
 さかのぼっては天文七年(1583)室町奉行日記『御状引付』(内閣文庫蔵)の余白に、
亭主々々留守なれば、隣あたりを呼び集め、人ごというて、大茶飲みての大笑ひ―意見さ申さうか(略)
など、十首の盆踊歌が記されている。幕府の役人によってこれが書き留められているところが皮肉である。
 小歌を愛好し享受する心は、実は早くから体制側の思惑《おもわく》を超えて広がっていたということのようである。

 ただしこうした開放的な小歌の時代は長くは続かなかった。近世に入って封建制が再編成されるとともに、人びとの心も再び内部にこもるようになった。同じうき世を歌っても、
  夢のうき世の、露の命のわざくれ、なり次第よの、身はなり次第よの (隆達節小歌)
  泣いても笑うても行くものを、月よ花よと遊べただ (同)
  何はのことも水に降る雪、うき世は夢よふただ遊べ (女歌舞伎踊歌「杜若《かきつばた》」)
という次第で、この「遊べ」からは『閑吟集』にいう「狂へ」のような現実世界にのめり込むほどの強烈な生きざまは感じられないし、「なり次第」というところにも諦《あきら》めに近いものが感じられる。
 同じように「人生七十」を称しても「其後国々所々に遊君多くなり来《きた》れり、人間七十古来稀《まれ》なる身をもちて、誰かこのたはぶれをなさで暮さん」(仮名草子『東海道名所記』一)という具合であるし、「南無三宝」といっても「南無三宝、世の中は夢の内の夢なりと、御落涙しきりなれば」(加賀掾《かがのじょう》正本『牛若虎の巻』三)という有様で、近世に入ってからのものはとかく発想が消極的になり、うき世の生活前線から後退する姿勢がみられる。

 こう考えてみると室町小歌は、人びとが規範に捉《とら》われず虚飾をふり捨て、現実生活での生き方を肯定した時代のものということになろう。都と地方、雅と俗、現実と無常、そうしたものが程よく雑居し融合されつつ歌声化されたもの、それが『閑吟集』であり、『宗安小歌集』だったのである。

出典:「解説 室町小歌の世界―俗と雅の交錯」『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』(校注・北川忠彦、1982年、新潮社)
*読みやすいよう、ふりがな、数字、記号、改行などの表記を変えた箇所があります。ふりがなは《 》内に記しました。( )内の洋数字は小歌集の歌の通し番号、または西暦です。引用歌謡には、出典の訳文を【訳】として付記しました。
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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