歌謡と詩歌の交わりについて、みつめていきます。まず
古代歌謡からです。
私の心に強く響く歌謡をとりあげたりしながら、その独立した個性と詩歌との入り混じる重なりを考えていきたいと思っています。
今回から三回は、出典の
小島憲之氏「古代歌謡」をもとに古代歌謡の表現の特徴を考えます。続く数回は、古代の民謡、芸謡、物語歌を順にみつめていきます。
歌謡を考える時、小島憲之氏の次の言葉は、
古代から現代までどの時代の歌謡にも共通して言えることではないかと私は思います。
「歌謡は一般に音楽と歌詞とを、時には舞踏を伴うものであって、もし「銀座カンカン娘」や「買い物ヴギー」がその音楽を失ったとすれば、後に残る歌詞にどれだけの価値があるだろうか。」
歌謡のいちばんの魅力は、
歌い手の肉声の響きの美しさ、表情と身振りの動きの変化にあります。聴いている時、見ている
その時その場が輝きであり、その時その場の響きに身を置き包まれることに喜びがあります。
そうではあっても「すでに音楽を失った古代の歌謡、換言すれば音楽が歌詞(文学)からは離れている歌謡」にその輝きを求めることは不可能です。だから古代の歌謡の表現形式として今読みとれるのは「歌謡の音数、句数」などに限られていることを意識することが必要です。
その際に、著者の次の指摘はとても示唆に富むと私は感じます。
「口からまた耳から筆へと歌謡が筆録される場合、少くとも囃(はやし)詞や歌詞の「繰返し」などは筆録者によって便宜的に取捨される危険を生じ、したがって精密な歌謡形式を表示することは困難」だということです。
書き伝えられた文字から単純に当時謡われたままの姿、音数や句数を決めつけられない、ということです。
そしてまた次の点も大切です。「歌詞が
実際に謡われる場合には、(略)引き延ばされたり短縮されたりしたものと思われる。」
歌うときには誰もが当たり前にしていることですが、文字にされた歌詞から逆に歌を思い起こす時、このことを忘れずにいないと、書かれた文字の音数で歌われたと誤って思い込んでしまう恐れがあります。
歌謡であることの本質はこの「謡われる」ことにあるので、次の定義は自然なものです。
「
文字を持たなかったころ民衆の間に謡われた歌謡はもちろん、筆録時代に入ってからも
筆を目当てとしないで謡われたと推定されるものが古代の諸文献に見出されるが、これらの歌を一般に
古代歌謡あるいは
上代歌謡と呼ぶ。」
萬葉集の東歌や
記紀歌謡など合計三百首ほどで、それらの歌謡は、「謡われ口唱されたものと推定される。」
そうなのだけれど、
歌と詩が生まれ出た源にある、古代歌謡と詩歌の境界、交わり、混ざり合いは、とても微妙です。著者は記します。
「しかしこれらの中にも詠まれた歌も相当あって必ずしもすべてが謡われたとは断定できず」、「筆録文学と見分けのつかない歌がかなり多い。」
謡われたか、詠まれたか、筆録を目当てとしたかどうかは、全体を一括して決められない。それぞれの歌謡をみつめて歌謡ごとに感じ取るしかない、それも古代歌謡の魅力なのだと、私は思います。
萩原朔太郎は
『詩の原理』や
『恋愛名歌集』で、日本の古代の詩歌を
「音数が自在な自由律」と主張していて詩歌の生まれ出てきた根源を考えさせてくれます。彼の主張は、古代歌謡のうちの、
筆録された詠む詩歌に対して正確なものです。一方で、謡われた歌謡の歌詞に対しては当てはまりません。囃詞などが省略されていること、引き延ばされたり短縮されたりして謡われたことを考えると、文字の音数を数えること自体に意味がなくなってしまいます。
朔太郎の主張は、この薄明の領域の、詠まれた詩歌の言葉・韻律についてのものであり、謡われた歌謡についてのものではないと、捉える必要があると思います。
次回は、歌謡の表現形式の特徴について、さらに踏み込んで考えます。
●以下、出典からの引用です。 古代文学は文献以前の文学を先に予想しなければならない。したがって今日残っている文学(あるいは文献)という目に見える糸と口頭で伝えられた目に見えない糸とをつなぎ合わせて考えることが必要であるが、それはいたって困難なわざである。殊に
すでに音楽を失った古代の歌謡、換言すれば音楽が歌詞(文学)からは離れている歌謡においてはなおさらである。歌謡は一般に音楽と歌詞とを、時には舞踏を伴うものであって、もし「銀座カンカン娘」や「買い物ヴギー」がその音楽を失ったとすれば、後に残る歌詞にどれだけの価値があるだろうか。(略)
いったい文学は
目の文学(詞章)と口耳の文学(口承、口誦、口頭など)とに分けることも出来、とくに古代文学が近代文学に比して一つの特色を有するのは、口の文学の名残りが古事記・風土記等の散文の側にほのかに残っていることであるが、本来口の文学であった歌謡も音楽を失っている以上は目の文学として考察しなければならない。
古代歌謡においてその律動(韻律)がわからないかぎり、形式の方面については
歌謡の音数、句数などの考察が必要となる。しかし
口からまた耳から筆へと歌謡が筆録される場合、少くとも囃(はやし)詞や歌詞の「繰返し」などは筆録者によって便宜的に取捨される危険を生じ、したがって
精密な歌謡形式を表示することは困難である。天元四年(981)伝写の識語をもつ
琴歌譜(きんかふ)一巻(陽明文庫蔵)は、和琴(わごん)の譜本として最も古く、その奏法と歌曲の声調とを併せ示し、弾法を符号をもって朱書したものであるが、
歌詞と歌曲との関係は
つぎねふ山しろ河に蜻蛉(あきつ)はなふくはなふとも我(あ)が愛(は)しものにあはずは止まじ
(継根扶理)
つぎねーふやましろかはにあきーつうはなあふくあきつうはなふく
はなふうとおおもあがはしものにあはずうはやあまじあはずはやまじ
のごとくなってい、
歌詞が実際に謡われる場合には、この例の如く
引き延ばされたり短縮されたりしたものと思われる。(略)
かく見れば、古代歌謡を忠実に復原するには、琴歌譜(きんかふ)のごときものが発見されないかぎりは、あるいはまた
琉球八重山古謡ユンタの曲が昭和の初めにかけて採譜されたような場合のないかぎりは不可能である。(略)
文字を持たなかったころ民衆の間に謡われた歌謡はもちろん、筆録時代に入ってからも
筆を目当てとしないで謡われたと推定されるものが古代の諸文献に見出されるが、これらの歌を一般に
古代歌謡あるいは
上代歌謡と呼ぶ。これは
萬葉集中にも相当見出され、とくに東国地方を中心とする
東歌(巻十四所載)や巻十六北陸地方の歌などは
民謡性の濃厚なものであるが、古代歌謡と云えば古事記・日本紀(日本書紀)に残る(略)歌を主として指す場合が多く、とくにこれを
記紀歌謡と称する。その他(略)だいたい歌数の合計三百首ほどが謡われ口唱されたものと推定される。しかしこれらの中にも
詠まれた歌も相当あって必ずしもすべてが謡われたとは断定できず、この点において神楽歌・催馬楽(さいばら)・東遊(あずまあそび)・風俗(ふぞく)などの中古の歌謡ほどに純粋性はたもたれていず、
筆録文学と見分けのつかない歌がかなり多い。 こうした三百余首にもわたる歌謡は、
もともと民衆の口にのぼった歌であって、人の心を率直に謡った民謡性の色彩の濃いものや、あるいは時事を風刺した
童謡(わざうた)(謡歌)などをふくんでいるが、主としてこれらは古事記・日本書紀その他の散文のワクの中にはめこまれて
縁記や所伝・伝説・説話の中の一部を形成し本来の姿を歪められたものが多い。(略)
出典:
「古代歌謡」小島憲之『古典日本文学Ⅰ』(1978年、筑摩書房)所収(* 漢字やふりがな等の表記は読みやすいよう変えた箇所があります。)
- 関連記事
-
コメントの投稿