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古代の芸謡(一)「神語(かみがたり)」の長歌

 歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめています。記紀歌謡を中心とする古代歌謡のなかで、私がとても好きな歌謡を以前ブログ「古代歌謡。無韻素朴の自由詩。」に咲かせました。
 古代歌謡という花々のなかでこの抒情恋愛詩は、次の歌と並んで同じ「芸謡」という丘に咲いています。

作品(原文と訳文)


  八千矛の 神の命(みこと)は
  八島国(やしまくに) 妻枕(ま)きかねて、
  遠々(とほどほ)し 越(こし)の国に
  賢(さか)し女(め)を 有りと聞かして
  妙(くは)し女を ありと聞こして、
  さ婚(よば)ひに 在(あ)り立たし
  婚ひに 在り通(かよ)はせ、
  太刀が緒も いまだ解かずて
  襲(おすひ)をも いまだ解かねば、
  嬢子(をとめ)の 寝(な)すや板戸を
  押そぶらひ 我が立たせれば
  引こづらひ 我が立たせれば、
  青山に ぬえは鳴きぬ。
  さ野(の)つ鳥(とり) 雉(きざし)は響(とよ)む。
  庭(には)つ鳥 鶏(かけ)は鳴く。
  慨(うれた)くも 鳴くなる鳥か、
  この鳥も 打ち止めこせね。
  いしたふや 海人駈使(あまはせづかい)。
  事(こと)の 語り事(ごと)も 此(こ)をば。


<訳:
八千矛の神様は、八島の国の中では(思うような)妻を得ることができないで、遠い遠い越の国に、賢い女がいるとお聞きになり、美しい女がいるとお聞きになって、妻問いに意気揚々とお出かけになり、妻問いにさっそうとお通いになって、太刀の緒もまだ解かずに、襲もまだ脱がずにいると、その乙女の寝ている(部屋の)板戸を、押しゆさぶって私が立っていると、引っ張り引っ張りして私が立っていると、(もう)木の茂った山では、ぬえ鳥が鳴いてしまった。(さ野つ鳥)雉も鳴いている。(庭つ鳥)鶏も鳴いている。(せっかく辿り着いたばかりだのに)腹立たしくも鳴く鳥どもめ。この鳥をぶっ叩いて(鳴くのを)止めさせてくれ。(いしたふや)海人駈使(あまはせづかい)が事の語り事として、このことを申し上げまする。>

 私は飾りのない純心率直な万葉集の「正述心緒」のような歌が一番好きですが、一方で言葉を芸術として高めた歌も好きです。「芸謡」は芸に生きた芸人による歌です。この歌の流れと心象と響きの美しさに、私は芸を磨きあげた芸人の誇りを感じます。

 この歌謡と、今回引用した歌謡は、宮廷の専門的な芸能者だった、伊勢の海人部(あまべ)出身の「海人駈使(あまはせづかい)」によるものです。
 彼等は天語部(あまかたりべ)として八千矛(やちほこ)神の妻問い物語、この二首をふくむ四首の「神語(かみがたり)」と呼ばれる美しく響く言葉ゆたかな長歌を伝えてくれました。

 私はこれらの長歌は筆録され詠まれた歌だと思っていましたが、引用の著者は次のように記しています。
 「この語部は広庭などを舞台として独演的に演じたものではないかと想像されるのであり、地の文に相当する説明的な語りを混じえながら、四首の歌を歌ったものであろう。多少の身振りを伴っていたことも考えてよい。」
 
 歌謡としてどのように謡われ、舞われたのでしょうか? その時その場に遡り聴くことはできませんが、書き留められ伝えられた言葉のゆたかさが、想像をふくらませてくれることを、私は嬉しく思います。

 この歌にはまた、表現形式としての「人称の転換」があります。日本の古代歌謡に叙事詩が生まれなかった姿が浮かび上がっています。
 叙事詩のように三人称で謡いだされても、途中で一人称に変わってしまう。そして主人公の心を謡うという一番の関心事、目的にかなう姿、抒情的歌謡となる。
 この特質は日本の詩歌の美しい個性だと私は思います。叙事詩より抒情的歌謡に私は感動するし、その姿が好きです。

以下、出典からの引用です。
 
 専門的な芸能人による「芸謡」は、観客・聴衆を楽しませることを目的としている点で、民謡とも異なり、抒情詩とも異なる性格を持つが、その具体的な生態は時代によって大いに変化している。芸謡の発達は、民衆が芸能人を育成する経済力を持つのでなければ期待できないのであり、それは当然都市の民衆でなければならないが、そのような条件が整ってくるのは、早くとも平安中期以後で、それによって遊女・傀儡子(くぐつ)・白拍子(しらびょうし)による今様が流行して、わが国の真の芸謡史が始まるのである。
 古代にも専門的な芸能人と呼びうるものもいることはいるが、それはおもに宮廷社会の中であり、かつ専門的とはいっても、きわめて未熟な程度であった。そのような芸能人として、宮廷の語部(かたりべ)・遊女(遊行女婦)・乞食者(ほかいびと)を挙げることができよう。

 宮廷でもいろいろな機会に酒宴が催され、勧酒歌と謝酒歌が歌われるのは民謡と同じであるが、特に儀礼的な意味を持つ重要な酒宴は新嘗会であり、それはまた重要な宮廷歌謡の場でもあった。(略)儀礼的な宮廷歌謡や古詞の奏上のあとでは、御神楽や民間の酒宴がそうであるように、開放的・娯楽的な歌謡や物語が列席の人々を楽しませるために演ぜられたであろうと思う。
 宮廷の専門的な芸能者が活躍する場は、おそらくそういう機会であり、伊勢の海人部(あまべ)出身の「海人駈使(あまはせづかい)」が、天語部(あまかたりべ)として八千矛(やちほこ)神の妻問い物語を語りかつ歌ったのも、そういう場においてであったろうと思う。この「神語(かみがたり)」と呼ばれるものは、四首の長歌が主で、物語の部分はほんのわずかであることから見ると、この語部は広庭などを舞台として独演的に演じたものではないかと想像されるのであり、地の文に相当する説明的な語りを混じえながら、四首の歌を歌ったものであろう。多少の身振りを伴っていたことも考えてよい。

 わが国の歌は、『記』『紀』『万葉』を通じて、ある人物の行動を歌う場合でも、前半は「こと」(行動)を歌いながら、それを最後まで貫くことはなく(したがって叙事詩にはならない)、後半は、其の人物の「こころ」を代弁したり、その人物に対する歌い手の「こころ」を述べて全体を収斂するのが鉄則である。
 これを言いかえると、後半の部分で人物の心を叙することに重点が置かれ、初めに行動を叙述するのは、単なる素材(または主題)としての意味しか持っていないということである。その点からすれば、「神語」歌全体はもちろん、第一首目の八千矛神の歌でも、基本的には抒情的歌謡であって、これに「物語歌謡」という名を与えることは、むしろ誤りとすべきであろう。

以上の出典:「記紀歌謡」土橋寛『鑑賞日本古典文学第4巻 歌謡Ⅰ』(角川書店、1975年)

 なお表現形式として挙ぐべきは歌謡の中の「人称の転換」である。たとえば古事記の八千矛の神の歌は「八千矛の神の命は八島国妻まぎかねて・・・・・」の三人称で始りながら、叙事的に歌謡は進行し途中で、
  「娘子(をとめ)の寝(な)すや板戸をおそぶらひ【我が】立たせれば引こづらひ【我が】立たせれば・・・・・」
のごとく一人称(I)に主語が転換して行くのがそれであり、歌謡の人称は非人称的で(Impersonal)、単なる文法の人称のみでは解決できない。かかる歌謡は叙事的な物語的な風をおび、作者が局外者であるためにそこに個性味が少なく、つまり謡い手は演技者のごとき役をつとめるのである。(略)

この文章の出典:「古代歌謡」小島憲之『古典日本文学Ⅰ』(1978年、筑摩書房)所収。
(* 漢字やふりがな等の表記は読みやすいよう変えた箇所があります。)
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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