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『梁塵秘抄』日本中世の祈りの歌

 中世日本の民衆の心の歌『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』から響きだす祈り、「法文歌(ほうもんのうた)」から、私の心に沁みてあふれるような好きな歌をここに咲かせます。
 歌謡は、知識の厳密さを極めるものではないので、訳はつけません。なんとなく伝わってくる、感じてしまうもののほうが、歌っている人の心を、より伝えることってあるからです。

(22)
釈迦(しやか)の 正覚(しやうがく)成ることは
このたび初めと思ひしに
五百塵天劫(ぢんでんごふ)よりも
あなたにほとけと見えやまふ

(26)
ほとけは常にいませども
うつつならぬぞあはれなる
人のおとせぬあかつきに
ほのかに夢にみえたまふ

(29)
阿弥陀ほとけの誓願(せいぐわん)ぞ
かへすがへすも頼もしき
一たび御名(みな)を称(とな)ふれば
ほとけに成るとぞ説いたまふ

(37)
観音大悲(くわんおんだいひ)は 船(ふね) 筏(いかだ)
補陀落海(ふだらくかい)にぞうかべたる
善根(ぜんごん)求むる人しあらば
乗せて渡さむ極楽へ

(40)
毎日恒沙(ごうじや)の定(ぢやう)に入り
三途(さんづ)の扉(とぼそ)を押しひらき
猛火(みやうくわ)の炎をかき分けて
地蔵のみこそ訪うたまへ

(82)
われらは薄地(はきぢ)の凡夫(ぼんぷ)なり
善根(ぜんごん)勤むる道知らず
一味の雨に潤(うるほ)ひて
などかほとけに成らざらん

(102)
静かに音せぬ道場に
ほとけに華(はな) 香(かう) たてまつり
心を静めて しばらくも
読めばそ ほとけは見えたまふ

(116)女人(によにん) 五つの障(さは)りあり
無垢(むく)の浄土はうとけれど
蓮華し濁(にご)りに開くれば
龍女(りゆうによ)もほとけになりにけり

(119)
常の心の蓮(はちす)には
三身仏性(さんじんぶつしやう)おはします
垢(あか)つき きたなき身なれども
ほとけになるとぞ説(と)いたまふ

(175)
極楽浄土は一所(ひとところ)
つとめなければ程(ほど)遠し
われらが心の愚かにて
近きを遠しと思ふなり

(232)
ほとけも昔は人なりき
われらも終(つひ)にはほとけなり
三身仏性(さんしんぶつしやう)具せる身と
知られざりけるこそあはれなれ

(235)
われらは何して老いぬらん
思へばいとこそあはれなれ
今は西方(さいほう)極楽の
弥陀の誓ひを念ずべし

(236)
われらが心に ひまもなく
弥陀の浄土を願ふかな
輪廻(りんゑ)の罪こそ重くとも
最期(さいご)に必ず迎へたまへ

(238)
暁 しづかに 寝覚めして
思へば 涙ぞおさへあへぬ
はかなくこの世を過ぐしても
いつかは浄土に参るべき

(240)
はかなきこの世を過ぐすとて
海山(うみやま)かせぐと せしほどに
万(よろづ)のほとけに疎(うと)まれて
後生(ごしやう) わが身をいかにせん

 『梁塵秘抄』は心のいろんな表情を浮かべているので、恋の歌、愛欲の歌など、法文歌の他にも紹介したい好きな歌がまだまだあります。
 この豊かな歌謡集につづく時代の歌謡の言葉と心をこれからみつめていきますが、『万葉集』のなつかしさに時おり帰るように、『梁塵秘抄』も感じとっていこうと私は思っています。

出典:『梁塵秘抄』(新潮日本古典集成、校注・榎克朗、1979年、新潮社)
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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