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『梁塵秘抄』(三)法文歌、中世の讃美歌

 中世に咲いた歌謡、『梁塵秘抄』の今様のうち、「四句神歌(しくのかみうた)・雑(ぞう)」に集められた民衆の心の歌に前回は耳を澄ませました。
今回は、心のより深い低音部から紡ぎだされた仏教信仰の歌、「法文歌(ほうもんのうた)」を聴きとります。学んだ三つの出典から心に響いた言葉 を紡いで記します。
 私は大阪育ちですので幼少期から奈良や京都の寺院を訪ねる機会は多くて親しみも感じてきました。
 でも今回法文歌にふれて気づいたことは、日本の仏教を知らない自分でした。
 ばらばらに名だけしか知らない、観音さま、お地蔵さん、阿弥陀如来、普賢菩薩、弥勒菩薩、薬師如来。寺院で親しんではきたけれど、込められた信仰は知らなかったんだと、改めて思います。これからもっと知りたいと思います。

 私はこれまで古代インドのウパニシャッドや原始仏典、ジャイナ教など、信仰の源にあるものが真理かどうかということばかりに拘り目を奪われていましたが、今はそのことよりも、時を経て伝えられてきた経典を、信じ、祈った、人たちの切実さを、わかりたいと願います。中世の信仰の心をもっと知りたいと願います。

 法文歌の言葉は、「時代の仏教信仰そのままの反映」であればいいんだ、と思います。経文に記された事柄を信じるかどうかは、信仰の選択です。
 その信仰が唯一の真理かどうかは人間には解らないし唯一絶対を主張し他を排除する教義は害悪ですらあると考えます。でも信じずにいられなかったひとりひとりの祈りは真実だからこそ、適ってほしい、とだけ私は祈ります。

 私はクリスチャンの家庭に育ちましたが、大好きだった祖母は仏教を信仰していましたから、祈りが向けられた彼方がキリスト教でも仏教的でもイスラム教でも、信仰するひとの心こそ大切なんだと思わずにはいられません。どちらかでないとだめだ、選べと迫ることは人間の能力の及ぶことではない、することではないと私は考えます。

 いのちを見つめて祈らずにはいられない、思いの強さは、宗教宗派の枠組みをこえた、人の心の地下深く通じ合う水脈だと思います、その音、声を聞くことを、何より大切にしたいと思っています。祈りと詩歌が生まれてくる泉だからです。

 だから出典で岡井隆が記している次の想いは、法文歌に私がそのまま感じたことです。
「法文歌のたぐいを読むとき、仏教的雰囲気から遠い育ち方をしたわたしは、しきりに、キリスト教の讃美歌を想起していた。」

 この歌謡は、中世の民衆の祈り、讃美歌だなと感じます。とても心ふるえる美しい歌、愛(かな)しい歌だと感じます。
 「多くの人々の生きる日々の苦悩から発した信仰の歌謡」が、「教団に束縛されぬ自立性」をもって、「持経者・聖・沙弥などの自由宗教者、巫女や遊女などを媒介として伝播し」、今に伝えられ、心に感じとれることに私は喜びを感じます。私は讃美歌と法文歌が、時間と地上での場所を超えて、響きあっていることを、聴きとれるようになりたいと願います。
 中世の信仰と詩歌については、西洋も含めて、また機会を改め感じとり書き記したいと考えています。

 法文歌から、祈りの響きが偽りなく美しいと心に響いた歌を、別に「愛(かな)しい詩歌」に咲かせます。漢語と和語が織り交ぜられた表現の形については、そこで感じとります。

●以下は、出典の引用です。

◎出典1
(二 讃美歌を連想する)
 「仏歌」をはじめとする法文歌のたぐいを読むとき、仏教的雰囲気から遠い育ち方をしたわたしは、しきりに、キリスト教の讃美歌 を想起していた。単純で簡明な比喩にしても、対句法の多用にしても、一種の説教臭にしても、皆共通している。そして、いうまで もなく、和讃を含めて仏教歌謡の伝統がはるかに長く深く先行していたからこそ、明治期のあのキリスト教讃美歌の数々の名作が生れたのである。海彼より伝来した宗教思想を(衆生のために)どう砕こうか、日本語で。そういう問いに答えた結果が、法文歌であり、讃美歌であったのだ。

  眉の間の白豪(びゃくがう)ごうは 五つの須弥(すみ)をぞ集めたる
  眼(まなこ)の間の青蓮(しゃうれん)は 四大海(しだいかい)をぞ湛へたる


 こういう単純な二行詩のもつ、力強さはどこから来るか。和語と漢語の衝突するひびきからも来るだろう。とくに「……をぞ集め たる」「……をぞ湛へたる」の音韻が、それぞれ「須弥」「四大海」のような外来語を中和している機微に注目する。それこそ、現 代短詩形文学にも通ずるのである。(略)

◎出典2
(法文歌)
 『秘抄』巻第二の前半を占める法文歌は、天台教学による整然たる配列の下に収められ、歌謡の形で見る仏教の小百科事典 という感じさえないはない。また、これは、長編の和讃の一部が独立・分化したものがあり、また同じ短唱の仏教歌謡たる教化(きようけ)・訓迦陀との関係も極めて密接である。法文歌の内容が、たとえば釈迦の前身たる悉達太子檀特山修行等の俗伝が歌われていたりするが、それは時代の仏教信仰そのままの反映であること、教理的に難解な経典の趣意を、おしゆがめることはなく、かえって同じような題材を扱った釈教和歌よりもずっと巧妙に、文学化していることを述べておきたい。(略)
 なお、表現技巧の方では、四句形式が多く忠実に守られていること、漢語・仏語の使用が多いためか七五調よりも八五調のほうが多く用いられていることなどが目につくところである。一口でいえば、法文歌は次の四句神歌などに比べて、はるかに定型的であり、安定した荘重な感じを保とうとしているといえよう。

◎出典3
(三 法文歌成立の背景と特質)
 法文歌は、わが国仏教歌謡史にきわめて特異な性格を有する歌謡群である。平安時代中期以後、貴族社会に密着した法会の歌謡(声明の歌謡―讃・迦陀・教化など)とはまったく次元の異なる生活の場、芸能の場、信仰グループの場などに発し、歌われ、多くの人々の生きる日々の苦悩から発した信仰の歌謡となったものである。
 貴族社会における造寺造塔、仏教芸術の遊宴化、僧侶社会の貴族化・門閥化、僧侶の俗化と堕落など、総じて当時の仏教界の因習化はすでに指摘されているとおりであるが、一部、法会の歌謡から脱化した少数の例とともに、固定化し、形骸化した教団内部の矛盾を克服した法文歌は、きわめて自由な受容を示したように思われる。現存する顕密法会の諸記録をによっても、法文歌の類にかかわる記述を求めることは困難である点からも、この当時の教団に束縛されぬ自立性を有していたと思われる。
 恐らくは、持経者・聖・沙弥などの自由宗教者、巫女や遊女などを媒介として伝播したものであろう。
 法文歌は、いわゆる釈教歌とは対立的である。釈教歌は、そのほとんどの作品が作者を明らかにして貴族文化圏に生成し、その中の法華経二十八品歌のごときも、数量的色彩が強く、法数歌として生成された点、数量尊重の思想と連関し、信仰の純粋度は決して高いものとは言えない。これに反し、法文歌の法華経二十八品歌は、その作者を明らかにせず、経を典拠としつつも 、豊かな文学的表現を試みていて、なかには、法華経との異質性を指摘し得る作品も見られるほどである。この点、法会における漢訳仏典の受容とは、まったくその性格を異にする。現在伝えられる法文歌中の二十八品歌の多くは、天台教学から発した教義上の要点に取材しているが、なかには、当然歌謡として作品化さるべき経文があるにもかかわらず作品化されていない品もあり、あるいは、その部分は散佚したものかとも考えられる。(略)

出典1:岡井隆「こゑわざの悲しき―秘抄覚え書―」。『鑑賞日本古典文学 歌謡Ⅱ』(1977年、角川書店)所収。
出典2:新間進一「梁塵秘抄 総説」。鑑賞日本古典文学 歌謡Ⅱ(1977年、角川書店)所収。
出典3:武石彰夫『梁塵秘抄』の世界。『梁塵秘抄 閑吟集 狂言歌謡 新日本古典文学体系56』 (1993年、岩波書店)所収。

(*出典からの引用文には、漢字や送り仮名などの表記を一部読みやすいように変えています。)

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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