「詩を想う」で『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の法文歌(ほうもんのうた)を聴き取りました。日本中世の仏教の祈りの歌です。時代と宗派は異なっても響きあっていると、私が感じ願う、キリスト教信者の
八木重吉の詩から、私がとくに好きな3篇の詩の花をここに咲かせます。彼は1898年(明治31年)から1927年(昭和2年)30歳までの短い生涯に美しい心の詩を書き遺しました。
第一詩集『秋の瞳』から2篇。「うつくしいもの」は中学の教科書で知った有名な作品ですが、今でも好きです。「赤ん坊が わらう」も十代前半、音楽ばかり聴いていた私が、言葉の詩もいいなって、心に感じた、八木重吉の素朴な良さそのものの詩です。読み返してみて、私の第一作品集『死と生の交わり』は、彼の詩心にも影響されていたことをあらためて感じます。
死後出版された生前自選の
第二詩集『貧しき信徒』から、「犬」。読んだ時、これが詩かって思いましたが、心に残っています。この作品をはずさずに詩集に入れた重吉が私は好きです。
うつくしいものわたしみずからのなかでもいい
わたしの外(そと)の せかいでもいい
どこにか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であっても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るということが 分りさえすれば
ああ ひさしくも これを追うに つかれたこころ
赤ん坊が わらう赤んぼが わらう
あかんぼが わらう
わたしだって わらう
あかんぼが わらう
犬もじゃもじゃの 犬が
桃子の
うんこを くってしまった
八木重吉の詩については別の機会にふかく見つめ感じ取りたいと願っています。
出典:『八木重吉詩集』(1969年、白凰社)
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