ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
今回の歌人は
五島美代子(ごとう・みよこ、1898年・明治31年東京生まれ、1978年・昭和53年没)です。
私は出典の本を通読しながら、好きな歌に印をつけ、その数が多い歌人をとりあげていますが、いちばん多くその印をつけていたのが、初めて出会ったこの歌人でした。彼女のような
ヒューマニズム、人間性あふれた歌人がもっと知られてよいと私は感じます。二回に分けて見つめます。
今回は17首です。短歌が難しい言葉を選ばなくても、とても豊かな心を伝えられる歌だということを、この歌人は教えてくれます。
最初の10首は、胎に子を宿したときから孫との時間まで長い年月に歌われていますが、この作者が一貫して、幼い子、稚い子どものすぐそばで、優しいまなざしをそそぎ、見守り、ともに過ごす時間を慈しんだひとだと伝わってきて、私はとてもよいと感じます。この人は子どもに与えながら、より多くのものを得ることができたひとだと感じ、私も暖かいちからを受けとれて、好きだなと思えます。
次の5首は、思春期の娘を、母のまなざしで見守る歌です。
これらの歌に私は以前みつめた
詩人・征矢泰子の詩
「征矢泰子の詩(二)。はなのようだ。娘に。」とのこだまを感じずにいられません。
どちらの詩も短歌も、母と娘のあいだでしかわからない細やかな思いと感情の交わりが美しいと思います。
最後の2首は、この歌人が子どもに深い愛情を注ぎながらも、対等な人間どうしが、ともに育つものと考え生きたことが伺えます。奉仕でもなく犠牲でもなく、愛し合って生きようとするメッセージに私は共感します。
優しく思いの深い人の心を歌う歌人に出会えたことを、私は嬉しく思います。
自選歌集『そらなり』1971年・昭和46年胎動のおほにしづけきあしたかな吾子の思ひもやすけかるらし
あぶないものばかり持ちたがる子の手から次次にものをとり上げてふつと寂し
いひたいことにつき当つて未だ知らない言葉吾子はせつなく母の目を見る
母を分けて得つるいもうとかき抱(いだ)き吾子が睫(まつげ)のとみにか黒さ
手さぐりに母をたしかめて乳のみ児は灯火管制の夜をかつがつ眠る
あけて待つ子の口のなかやはらかし粥(かゆ)運ぶわが匙に触れつつ
ひたひ髪吹き分けられて朝風にもの言ひむせぶ子は稚(いとけ)なし
一つとりしえびがにを手にいきみゐる小童(こわつぱ)よ勁(つよ)く大きく育てよ
起きくるいつの間にかわれも本気になりてゐる三歳(みつ)の子さまざまにわが愛ためす
おばあちやまはほどけてゐるといはれたり まことほどけてこの子と遊べる
手の内に飛び立たむとする身じろきの娘(こ)は母われを意識すらしも
女身(にょしん)の道さからひかねてをとめづく娘(こ)はまみうるみ時にすなほなり
ひそやかに花ひらきゆくこの吾子(わこ)の身内(みうち)のものにおもひ至りつ
花とけもの一つに棲(す)めるをとめ子はひる深くねむり眠りつつ育つ
眠りつづけ眠り足らひて起きくればきよとんと春の日のをとめなり
母われも育ちたし育ちたしと思へば吾子をおきても行くなり
力いつぱい生ききりて吾の枯るるときおのづから子に移るものあらむ
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。 次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
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3月11日、
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イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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