ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
前回に続き歌人は
五島美代子(ごとう・みよこ、1898年・明治31年東京生まれ、1978年・昭和53年没)の人間性ゆたかな歌、今回は15首です。
最初の6首には、この歌人のいのちと人間と社会を見つめるまなざしの深さを感じます。文学や詩歌は、人間には決してわからない「真理」を主張するのではなく、生きている時間、瞬間の真実を言葉で伝えようとする芸術だと私は考えていますが、これらの歌に私は彼女の真実を聞く想いがします。
特に6首目の「凡愚」という言葉にそのことを強く感じます。「正義」や「真理」や「主義」や「合理性」の錦の御旗を平然と掲げ戦争を正当化する者たちは、自らを謙虚に「凡愚」とは決して認めないからです。けれど政治経済的な力のバランスが変わると、掲げていた御旗はあっさりは正反対のものにすげられてしまうことが、人類史にはあふれているからです。
次の2首は、母への、最後の7首は長女への、鎮魂歌です。悲しく、痛く、心打たれる歌です。このような歌には余計な感想はじゃまで、読者のこころが直に自分の心に感じゆれるほかにない、そのようなよい歌だと私は感じます。
五島美代子の歌につよく思うのは、少なくとも私にとって、好きだなと感じ、読んでよかったと感じ、心ゆたかになれたと感じるのは、
心と感受性に強く焼きつけられ人間としての想いが言葉にせずにいられなくてふるえだした歌だということです。
そして表現の仕方という点では、詩歌は言葉の芸術だから言葉を大切に表現するのは当たり前のことですが、理性・知性・機智で言葉を道具として巧みに用いて形作ること自体が目的化してしまい目立ってしまうのは(前衛的だともてはやされても一時的な流行にすぎず)貧弱なことで、より素晴らしく他者に伝わり心に響く表現とは、
息遣いのように息するように、肉声の強弱や抑揚やかすれに感情や想いがくるまれて届けられるような、愛する人の声が間近に聞こえてくるような言葉だということです。いいかえると、演奏の伴わない
言葉だけによる歌、それが良い詩歌だと私は思います。
だから私は(歌壇での評価は知らず気にしませんが)、彼女の歌が好きだし、とても心に響く良い歌だと思います。
自選歌集『そらなり』1971年・昭和46年自(し)が子らを養ふと人の子を屠(ほふ)りし鬼子母神のこころ時にわが持つ
愛情のまさる者先づ死にゆきしとふ方丈記の飢饉(ききん)描写はするどし
親は子に男女(をとこをみな)は志ふかき方より食をゆづりしと
ベートーヴェンが見たりし月夜こよひひそかにこの国照らせり敗れし国を
半面のかがやき思ひわがねむるこの半球は春の闇なり
戦争中より明らかに眼ひらきゐしといふ人らと異なり凡愚のわれは
われと娘と深夜よそひしなきがらの母の重みは今も手にあり
われ一人やしなひましし母の乳焼かるる日まで仄(ほの)に赤かりき
この向きにて初(うひ)におかれしみどり児の日もかくのごと子は物言はざりし(長女ひとみ急逝)
花に埋もるる子が死に顔の冷めたさを一生(ひとよ)たもちて生きなむ吾か
棺の釘打つ音いたきを人はいふ泣きまどゐて吾はきこえざりき
わが胎(たい)にはぐくみし日の組織などこの骨片には残らざるべし
冥路(よみぢ)まで追ひすがりゆく母われの妄執を子はいとへるならむ
亡き子来て袖ひるがへしこぐとおもふ月白き夜の庭のブランコ
元素となりしのみにはあらざらむ亡き子はわれに今もはたらく
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。 次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
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