今回からの数回はここ約百年の時間に生き歌った歌人の
短歌を見つめてみます。
私自身は狭義の短歌の形式での創作はしていませんが、和歌、短歌が好きですし、源流をおなじくする広義の詩歌の歌人と意識しています。
柿本人麻呂や
山上憶良や
和泉式部、紫式部、式子内親王らも連なる歌人の末裔です。私の詩は、短歌の
破調です。
短歌の一読者として、
歌人・道浦母都子の『百年の恋』(小学館、2003年)、『女歌の百年』(岩波新書、2002年)は、歌人の生き様と歌心を伝えてくれる、とても良い本でした。
『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)は、この時間に生きた多くの歌人について、その歌人の個性が宿る歌を選び編んでいるように私には感じられました。もちろん漏れ採録されずにいる良い歌人、良い歌は必ずあると思っていますが、出会いの時を待ちたいと思います。この本の中から、強く感じるものがあり私なりに何かしら伝えたいと願う歌人の好きな歌を、みつめていきます。
初回の今回は、
吉野秀雄(よしの・ひでお、1902年・明治35年、群馬県生まれ)です。彼は上記の『百年の恋』でも印象深く書かれています。
私にとって彼の名前は、夭折した詩人の
八木重吉、十代の頃から私は彼の詩が好きです、その彼の詩を伝えてくれた人として記憶にありました。
秀雄の短歌を読むと、人間が生きるということ、愛、悲しみが、静かに深く心に沁みるように響いてきます。
思うということ、感じるということから、歌は心の深みから浮かびあがる、言葉の涙が込みあげ歌となってこぼれたように、感じます。十一首とも、美しい
悲しみの抒情歌です。
子の死。妻の死。重吉を亡くした登美子との再婚。長男の心の病。これでもかと襲いくるものに耐え思いを噛みしめる作者の眼をとおして歌われた世界は、悲しみに洗われ、美しく澄みきっています。
「真命(まいのち)の」と「これやこの」の歌の古語、「ししむら」は肉体、「わぎも」は愛する女性、死を目前にした妻を呼ぶ声です。死を前にした最後の交わりの愛の絶唱です。
彼の短歌は、愛の歌、詩歌の本来のちから、三十一文字という限られた語数に凝結した涙が、静かにひかりつづけ響きやまないことを、教えてくれます。
短歌収録歌集、刊行年と彼の年齢を付記します。
『天井凝視』から。1926年(大正15年)、24歳。
昼の月消(け)ぬがに空をわたるときいのちひとむきに愛(を)しとおもへり
『早梅集』から。1947年(昭和22年)、45歳。
子の柩(ひつぎ)抱きて越えゆく中山の若葉のひかりせつなかりけり
『寒蝉集』から。1947年(昭和22年)、45歳。
病む妻の足頸(あしくび)にぎり昼寝する末の子をみれば死なしめがたし
炎天に行遭(ゆきあ)ひし友と死(しに)近き妻が棺(ひつぎ)の確保打合はす
真命(まいのち)の極(きは)みに堪(た)へてししむらを敢(あへ)てゆだねしわぎも子あはれ
これやこの一期(いちご)のいのち炎立(ほむらだ)ちせよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹
『晴陰集』1967年(昭和42年)、65歳。
飛火野(とびひの)は春きはまりて山藤の花こぼれ来(く)も瑠璃(るり)の空より
重吉の妻なりしいまのわが妻よためらはずその墓に手を置け
『含紅集』1968年(昭和43年)、66歳。
叛(そむ)き去りし子が住む家は訪(と)はねども線路ばたなれば電車より見る
永病みの足立たぬわが目の前にあるべきことか長男狂ふ
彼(か)の世より呼び立つるにやこの世にて引き留(と)むるにや熊蝉(くまぜみ)の声
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫) ☆ お知らせ ☆
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