◎物語の虚構性と真実 紫式部は、物語の虚構性と言葉の真実性の関係について、深く理解していたと、私は次の言葉に感じました。
以下紫文字は、
与謝野晶子訳『源氏物語』「蛍」の巻の該当箇所の原文引用です。
「ほんとうの語られているところは少ししかないのだろうが、それを承知で夢中になって作中へ同化させられる」「嘘ごとの中にほんとうのことらしく書かれてあるところを見ては、小説であると知りながら興奮をさせられますね。」「けれど、どうしてもほんとうとしか思われない」 私は、物語の虚構性と対極のものに、万葉集の短歌とアフォリズムがあると思います。
たとえば万葉集の正述心緒(ただにこころをのべたる)の歌は、直情、ありのままの思い、伝えずにいられない心を、三十一文字の調べという最小限のかたち(虚構)の薄肌につつんだものです。
アフォリズムも同様に虚構を極限まで削ぎ落とすことを意思した言葉です。
これらの、なまに近い真率な言葉の真実性は、心のあり方が作者と重なる読者にとってはとても強く心を揺さぶる共鳴を引き起こします。私はこのような文学表現がとても好きです。
ですがこの良さは同時に弱さでもあり、心の重ならない読者には響きようがなく、何の波紋もおこさずにすりぬける風のようなものです。この文学表現は、多様な読者のこころまで巻き込み揺り動かすには、あまりに微かなものです。
一方で物語(小説)は、紫式部が言うとおり、「嘘ごと」虚構そのものです。だからこそ逆に、細かい描写・叙述の言葉を「ほんとうのことらしく」積み上げることで、その世界に入り込む読者の多様なこころの在り様にはあまり影響されません。読者は、その虚構に織り込められた言葉を、その虚構に生きている人間に感情移入し、「どうしてもほんとうとしか思われない」と感じてしまいます。物語の虚構性が生み出す素晴らしさだと私は思います。
引用出典:青空文庫(
http://www.aozora.gr.jp/)入力:上田英代、校正:砂場清隆。
(古典総合研究所(
http://www.genji.co.jp/)の入力ファイル利用)
底本:「全訳源氏物語 中巻」与謝野晶子訳、角川文庫、1971年。
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