◎物語と本当の歴史 紫式部の次の言葉には、彼女の物語の創作者としての誇りを感じます。物語だからこそできること、物語でなければできないことを、彼女が深く理解し創作したことが伝わってきます。
「神代以来この世であったことが、日本紀(にほんぎ)などはその一部分に過ぎなくて、小説のほうに正確な歴史が残っている」「だれの伝記とあらわに言ってなくても、善いこと、悪いことを目撃した人が、見ても見飽かぬ美しいことや、一人が聞いているだけでは憎み足りないことを後世に伝えたいと、ある場合、場合のことを一人でだけ思っていられなくなって小説というものが書き始められた」 紫式部はこの誇りを持っていたからこそ、あの長大な言葉の絵巻を描き切れたのだと私は思います。彼女はここでの短い言葉で次のことを伝えたかったのだと思います。
「正確な歴史」とは、政治的な変動でも支配階級の家系でも社会事件の記録なのでもない、そこには抜け落ちているものがある、それは物語に描かれているもの、物語だから伝えられるものだ。
生きた歴史は、人間と人間の出会いと別れ、因縁、交わされた歌、思慕と嘆き、契り、愛憎、そこにこそある。
正史とされる「日本紀(にほんぎ)など」には、いちばん大切なものが抜け落ちている、だからそれらは歴史の「一部分に過ぎなくて」、本当の歴史には『源氏物語』が執拗に描く姿で、女たちがひとりひとり生きている。女と男が思い合い、契り、生み出し、流れていくものこそが歴史なのだと。
私は紫式部が、「後世に伝えたい」、「ある場合、場合のことを一人でだけ思っていられなくなって」、その強い思いを抱いて『源氏物語』の人間絵巻・歴史を書き上げたことを思うと、感動します。
紫文字引用出典:青空文庫(
http://www.aozora.gr.jp/)入力:上田英代、校正:砂場清隆。
(古典総合研究所(
http://www.genji.co.jp/)の入力ファイル利用)
底本:「全訳源氏物語 中巻」与謝野晶子訳、角川文庫、1971年。
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