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田川紀久雄詩集『遠ざかる風景』(二)あれから一度も笑ったことがない

 詩人・田川紀久雄が今年2月20日に上梓した詩集『遠ざかる風景』から、私の心にとくに響いた詩作品、詩句をとりあげ、呼び覚まされた私の詩想を記しています。主題ごとに、全5回です。

 2回目の今回に感じとる作品は、詩「遠ざかる風景」と詩「救われぬ魂(抄)」です。
 詩集からの引用を感じとりながらその前後に、☆印をつけ私の詩想を織り込んでいきます。

☆ 今回みつめる詩集タイトルの詩「遠ざかる風景」には昨年二〇一三年三月十日、詩「救われぬ魂」には同年三月十一日と記されています。田川紀久雄は詩を一気に書き上げるタイプの詩人ですので、日ごと胸を痛めている東日本大震災で被災された方々への想いが強まったそれぞれの日に、生まれたのだと私は感じます。
 震災と被災された方々のことを詩に書くことをただそれだけで批判するような人がいますが、その行為は自らの心の鈍感さと人間性の乏しさを得意げに曝しているに過ぎず、とても卑しいと私は感じます。
 田川紀久雄の詩をとおして、なぜか、伝えたいと思います。

 遠ざかる風景
          田川紀久雄


日々哀しみが深まっていくばかり
先がまったく何も視えてこない
生きているのか
それとも死んでいるのかさえ解からない
愛するものの死に
愛おしさが募るばかり
生きていたらあれもこれも出来たのにと・・・・・・

砂浜をチドリが歩く
波が打ち寄せてくる
爽やかな風が吹いている
カモメも飛んでいる
死者の魂がこの海上を彷徨っている

あれから一度も笑ったことがない
防風林は跡形もないままだ
工事用のトラックが砂埃をまきあげながら
何にも存在しない風景の中を走り抜けていく

さらさら流れる
風の音が海面を撫でてゆく
海底から
哀しみの啜り泣きのような聲がかすかに聴こえる

あれは誰の聲
子供たちの聲
それとも
母親が子供を捜す聲なのだろうか

海を見に行くのはつらい
おかぁが俺を呼んでいる
夢の中まで
あの聲が追いかけてくる

ますます遠ざかる風景が
ふっとした瞬間に襲いかかってくる
忘れる事の出来ない
明日で二年になろうとしているのに
時はあのとき止まったまま動かない
元気をだしなと言われても
心の時計は前に動いてくれない
苦しみは時が奪っていってくれると言うが
愛しき者を思う度に
いのちがいつまでも立ち上がってくれない
           (二〇一三年三月十日)

☆ この詩のなかに、「あれから一度も笑ったことがない」という詩行があります。また、「元気をだしなと言われても / 心の時計は前に動いてくれない」という詩行があります。
 この詩がかかれたのは、まもなく三年になろうとするあの震災の日から二年後の前日です。私はいまもまだまだ、田川紀久雄がこの詩行に掬いあげた想いのまま毎日生きている、とても多くの方々がいらっしゃると感じます。

 話題性や事件、目新しいことを追いがちなマスコミが丁寧に聴き取り、耳を澄まそうとすることを減らしているから、意識されないだけです。あれだけの恐怖、愛する人を突然奪われた悲しみと苦しみが、かんたんに薄められると思えるとしたら、あまりにその心は鈍すぎる、と思います。「震災の詩うんぬん」と賢しらに論じる批評屋は文学の根本と本質を知らず鈍くこり固まりすぎて感じなくなった心の石のまま黙っていればいいと思います。

 田川紀久雄は、闘病と貧困で彼自身がこの数年間、いま、とても苦しんでいます。だから、苦しみ、悲しんでいる心、人の嘆きに、ひどく敏感です。自分のこととして感じてしまうから、このような詩句を書かずにはいられないのだと私は感じます。


 救われぬ魂
        田川紀久雄

(略)

誰にも気付かれずに
新聞記事にも載らない世界が
この世の中には溢れている
詩を書く想像力は
沈黙の聲に耳を傾ける事の中から生まれてくる

(略)

東北の地から
風に乗って
聴こえない筈の聲が
私の胸の中に運ばれてくる
私と同じく苦しんでいる人よ
黙ったままで
心と心を触れ合いたい
風の中から聴こえてくる聲に向かって
ひたすら祈りを捧げる
三月十一日は今日だけではない
明日も
明後日も
生きている限り
永遠に三月十一日には終わりがない
             (二〇一三年三月十一日)

☆ 田川紀久雄は、ともに投げ込まれた悲しみと苦しみのなかで、祈らずにはいられないのだと思います。
 これら二篇の詩は、感情移入の詩です。感情移入、言い換えれば、共鳴、共振、ともに心ふるわせる詩です。相手の心を思い、自らの思いに重ねて、言葉とする詩です。
 詩句「詩を書く想像力は / 沈黙の聲に耳を傾ける事の中から生まれてくる」、私もそう思います。
 広島の作家・原民喜は、文学は自分の心の泉の源をたどって、人と人の心と心を結んでいる、地下水脈にたどりつくことだ。そこから地上にあふれ吹きこぼれるのが文学だと教えてくれ、小説『鎮魂歌』をはじめとする、悲しく美しい心に響く作品を、生み伝えてくれました。

 田川紀久雄は、『遠ざかる風景』で同じことをしています。ほんの数年で「風化」などと忘れ去られるようなものではない、人間の心を馬鹿にするなと、彼は悲しみ、怒っています。
 「私と同じく苦しんでいる人よ」と呼びかけ、悲しみの心を、自らの心をとおして感じとりながら。
 「誰にも気付かれずに / 新聞記事にも載らない世界が」あるのに、終息宣言や安全宣言で偽り誤魔化し隠そうとばかりする為政者たちのことを。

◎出典:田川紀久雄詩集『遠ざかる風景』(2014年2月20日発行、漉林書房)

次回も田川紀久雄の詩、鎮魂といのりへのまなざしを感じとります。


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 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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