本居宣長(もとおりのりなが)の『紫文要領(しぶんようりょう)』を通して、『源氏物語』をより深く読み感じ取ろうとしています。引用文の出典は、
『紫文要領(しぶんようりょう)』(子安宣邦 校注、岩波文庫、2010年)です。章立ての「大意の事」と「歌人の此の物語を見る心ばへの事」から任意に引用(カッコ内は引用箇所の文庫本掲載頁)しています。
3回目の今回は、
「恋と物のあはれ」について、宣長がどのようにとらえていたか、私が感じ思うことを記します。 本居宣長は、藤原俊成の歌を引いて、恋せずに物の哀れの忍びがたさをふかく感じしることはできない、と言います。だからすぐれた歌も恋の歌こそに多いのだ、と。
詩人の萩原朔太郎も『詩の原理』で同じことを熱く語っていることは、以前このブログで記しました。(
萩原朔太郎『詩の原理』(一)純詩、抒情詩の外になし。)
続けて宣長は物語についても語ります。このあたりの文章、とくに「恋する人のさまざま思ふ心のとりどりにあはれなるおもむきを、いともこまやかに書きしるして、よむ人に物の哀れをしらせたる也。」など、とても美しく
『源氏物語』の姿を鮮やかに浮かび上がらせていると私は感じます。
◎原文「人の情の深くかかる事好色にまさるはなし。さればその筋につきては、人の心ふかく感じて、物のあはれをしる事何よりもまされり。故に神代より今にいたる迄、よみ出る歌に恋の歌のみ多く、又すぐれたるも恋の歌におほし。是れ物の哀れいたりて深きゆゑ也。物語は物のあはれを書きあつめて、見る人に物のあはれをしらするものなるに、此の好色のすぢならでは、人情のふかくこまやかなる事、物のあはれのしのびがたくねんごろなる所のくはしき意味は書きいだしがたし。故に恋する人のさまざま思ふ心のとりどりにあはれなるおもむきを、いともこまやかに書きしるして、よむ人に物の哀れをしらせたる也。後のことなれど、
俊成三位の、
恋せずば人は心もなからまし物の哀れもこれよりぞしるとよみ給へる、此の歌にて心得べし。
恋ならでは、もののあはれのいたりて忍びがたき所の意味はしるべからず。」(P109-P110)
そのうえで宣長は、
色欲、好色、淫乱そのものを、紫式部の『源氏物語』がよしとしているのではなくて、物の哀れしることをよしとしているのだ。物の哀れを深く感じ伝えようとするとき浮かび上がる男女の中、色欲、好色、淫乱をありのままに描ききっているのだ、と読み取ります。恋と色欲と好色と淫乱、これらはその呼び方や見方で異なって感じられはするけれど、物の哀れそのものと分かちがたく交じり合い綾をなしているものだと私は思い、宣長に共感します。
「たれも老いては若き人の好色をつよくいましむれども、若きほどは此の筋にはしのびがたき方のありて」という言葉を読んだ時、私は宣長がうそ、いつわりごとを言わない人だと感じました。
私は二十歳前後の頃、愛することと性欲について思い悩み、フロイトの性欲論を読んだり、
トルストイの『人生論』や愛や性を論じた本も読みました。高齢になったトルストイがそれらの著書で、若かった頃の自分の性愛生活を非難しつつ悔い改めた今は禁欲に徹していると懺悔し、読者にも悪の性欲は棄て善の禁欲に生きろと強いているのを、よくこんな自己中心的で押しつけがましい嘘いつわりを言えるものだと、驚き、あきれたことがあります。自分がしなかった、できなかったことを後になって間違ってたから自分を責めるならわかるけど、偉ぶってお前がやれとまでどうして言えるのだろうと、今でも思っています。(作家としての彼の力量、作品を認めていないわけではありませんが)。
そんなトルストイに比べるとなおさら、紫式部が、また彼女の目を通して本居宣長が、どれほど人のこころ、あはれ、その本来の姿をしっていたか、伝えてくれているか、その深さを思わずにいられません。
宣長は続けます。歳を重ねても心は若い頃と同じだ、だがおもいやりは深くなるからしのびがたい気持ちをしのぶことができたりもする。けれどそれでもなおしのぶことができないこともあるんだ、誰もそれをとがめることなんてできない、しのびがたさをしることは哀れをしること、深い心をしることだから、と。
私も『源氏物語』のいつわりのなさにこそ強く惹かれるのだと感じます。
◎原文「さりとてその淫乱をよしといふにはあらず。物の哀れをしるをよしとして、其の中には淫乱にもせよ何にもせよまじれらんは、すててかかはらぬ事也。物の哀れをいみじういはんとては、かならず淫事は、其の中におほくまじるべきことわり也。色欲はことに情の深くかかる故也。男女の中の事にあらざれば、いたりて深き物の哀れは、あらはししめしがたき故に、ことに好色の事はおほく書ける也。」(P68)
「たれも老いては若き人の好色をつよくいましむれども、若きほどは此の筋にはしのびがたき方のありて、過つ事有る也。年たけても心は同じ事にても、思ひやりが深くなるゆゑに、しのびがたき所をもしひてしのぶ方有り。今源氏の秋好む中宮を思ふ心は、似げなき事としのび給ふがごとし。されども其の上になほしのびぬ事も又有る也。故に源氏の此の後にも猶朧月夜に密通は絶えざりし也。其の所の詞に、「いとあるまじき事といみじく思しかへすにもかなはざりけり」といへり。さればそのしのびぬ所の物の哀れをしる人はふかくとがめず。」(P118-P119)
「よき人は物の哀れをしる故に、好色のしのびがたき情(こころ)を推しはかりて、人をも深くとがめず。殊(こと)に朱雀院の源氏をとがめ給はぬと、源氏の君の柏木を哀れに思しめすとは、いたりて物の哀れを深くしる人にあらずば、かくはえあるまじき事也。柏木の事は、源氏の君さへかやうに哀れにおぼしめす物を、後世此の物語を註するとて、是れをあはれなるやうにはいはで、返りて人のいましめにせよというやうに註せるは、いかに物の哀れしらず心なき人ぞや。かならず式部が本意にそむく事しるべし。好色は人ごとにまぬがれがたく、しのびがたき情のある物といふ事をしり給ふ故にとがめ給はず、哀れに思しめす也。」(P122)
本居宣長は、紫式部が源氏と藤壺の恋を、そのような恋のしのびがたさ、物のあはれの深さの限りを取り集めて描いていると語ります。哀れを深くしる男と女の恋、逢いがたく社会の道理では許されがたい身に置かれた思い入ることの殊更深い恋。式部は描きながらその恋の極みを生きたのではないでしょうか。
読者として私は、藤壺の宮の女性としての魅力に強く惹かれます。命がかかるほどの切実な悲しみと愛さずにはいられない思いに揺れる美しい女性。藤壺の宮の心のすがたと命とを感じて心ふるえます。そのとき彼女に息を吹き込んだ紫式部も生き続けているんだと私は思います。
◎原文「まづ物のあはれのいたりて深き所を書きあらはさむがためといふ故は、前にもいへるごとく、好色ほど哀れの深き物はなし。其の好色の中にも、よろづすぐれて心にかなふ人にはことに思ひの深くかかる物也。又あひがたく人のゆるさぬ事のわりなき中は、ことに深く思ひ入りて哀れの深き物也。されば今此の一事は、物の哀れの深くかかる恋の中にもことによろづにすぐれたる人どちにして、又ことにあひがたく、又ことに人のゆるさぬわりなき事を書き出して、物の哀れのいたりて深き所を書きあらはせり。(中略)是れあひがたく人のゆるさぬわりなき中は、ことに深く思ひ入りて哀れの深かりし也。かくのごとく、此の御事は物のあはれの深かるべきかぎりをとりあつめて書けるもの也。是れ即ちかの蛍の巻にいへる、よきさまにいはむとてはよき事のかぎりを選り出でといへる物也。よきとは物の哀れをしる事也。」(P141-P142)
「命にもかくるほどに思ふは、物の哀れの中におきても尤(もっと)も深き事故に、かやうの恋のみ多き也。それをしるす心は、それをよしとして人にすすむるためにもあらず、あししとしていましむる為にもあらず、そのしわざの善悪はうちすててかかはらず。ただとる所は物の哀れ也。」(P67)
「又恋の歌をよまむに、今人ごとに色好まぬはあるまじけれども、古へのやうに命にもかくるほどのわりなき恋する人もすくなかるべし。此のすぢに命をすつるものは今もおほけれども、其のおもむき心ばへは古へと大きにこと也。」(P169)
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