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哀れと愛(かな)しの詩

 本居宣長(もとおりのりなが)の『紫文要領(しぶんようりょう)』を通して、『源氏物語』をより深く読み感じ取ろうとしています。引用文の出典は、『紫文要領(しぶんようりょう)』(子安宣邦 校注、岩波文庫、2010年)です。章立ての「大意の事」と「歌人の此の物語を見る心ばへの事」から任意に引用(カッコ内は引用箇所の文庫本掲載頁)しています。

 2回目の今回は、「哀れ」という言葉を宣長がどのようにとらえていたか、私が感じ思うことを記したうえで、私自身の言葉への愛着と詩を添えます(リンクでお読み頂けます)。
 本居宣長は、古(いにしえ)の言葉そのものを、丁寧に読みとくことで、作者が書き記した時点での作品の真の意味をつかもうとした人です。『源氏物語』についての次の言葉が彼の姿勢をよく伝えてくれます。

◎原文 
「すべて此の物語は文章すぐれて意味の深長なる物なれば、一わたりの事にては、文義の心得がたき事多し。心得がたきをしひて心得がほに註したる故に、諸抄共に誤り多し。よくよく文義を明らめ、作者の本意を心得て後に註すべきことなり。」(P82)

 彼は、『紫文要領』の中心概念である、「物のあはれ」、「哀れ」を、その言葉そのものを見つめ直し、以下のように述べています。
 「あはれ」という言葉は、「ああ」という深い心のため息だ。
 「物の哀れ」という言葉には、物思わしくかなしい思いと、おもしろくうれしい思いが共にこもっていて、二つの思いを抱き合わせて「哀れ」ということが多い。
  人の情にとって、おもしろくうれしい思いは軽く浅いが、物思わしくかなしい思いは重く深いと。 

◎原文
「何にても心に深く思ふ事を歎息する也。「哀れと」といふ時は、漢文に嗚呼(ああ)といふと同じ事にて、深く歎息する事也。ああもあはれも同じ詞の転じたる物なり。心に深くおもふ事をいひきかせかたらひて、なぐさむべき人もなきときは、ひとり歎息する也。」(P85)
「さて「物の哀れをもをかしき事をも」といへる二つは、人情の大綱也。合(がっ)しいふときは、哀れといふにをかしきもこもれども、分けていへば、哀れは物思はしくかなしき方にいひ、をかしきはおもしろくうれしき方にいふ也。物語の中にもわけていへる所もあれど、多くは合していへり。合していふときは、おもしろき事うれしき事も哀れといふ也。人情のうちにおもしろくうれしくをかしき事は、軽く浅くして、物思はしくかなしきやうの事は、重く深し。」(P77)

 私は宣長のこの叙述に深い共感を覚えます。本居宣長は、「物のあはれ」、「哀れ」という言葉に、こころを表し伝えるその形と響きとこもるその意味に、強く執着し、どうしようもないほどの思い入れを抱いていたのだと感じます。こだわりをもって言葉を見つめ愛情を持ち続けた、本居宣長の心にとても惹かれます。

 私もまた心と言葉を大切に思い文学を愛する詩人だから、愛情を抱く言葉があります。「愛(かな)し」という言葉がとても好きです。詩集『愛(かな)』のあとがきにその思いは記しました。万葉集の頃から受け継がれてきたこの言葉にも、本居宣長が「哀れ」について語ったように、二つの思いがこめらています。愛している、愛(いと)しい、というふきこぼれる熱い思いと、悲しい、哀(かな)しい、という心が痛む切ない思いです。切り離せずにひとつの言葉にふくみこまれ揺れている思い、その思いをくるんだ文字と響きを、私はなぜだかずっと好きでたまりません。大切なこの言葉がタイトルになって生まれてきた私の作品を、ここに咲かせます。お読み頂けたらとても嬉しいです。

詩「愛(かな)1」、詩「愛(かな)2」(詩集『愛(かな)』から)。
詩「愛(かな)3」、詩「愛(かな)4」(ホームページ「虹‐新しい詩」から)。

詩「愛(かな)しい瞳 1」、詩「愛(かな)しい瞳  2」(ホームページ「愛(かな)しい瞳」から)。

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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