平安時代末期から鎌倉時代初期の動乱の時代に生きた歌人、
藤原俊成(ふじわら・しゅんぜい、としなり)の和歌から、私の好きなうたを選んで、感じとります。全4回の3回目になります。
俊成は90歳すぎまで長生きをしましたが、最晩年まで、抒情性ゆたかな愛の歌をうたいつづけて生きたことを、私は深く尊敬しています。
出典にない現代語訳をつけることはしませんが、彼の歌は訳さなくても今のこころに響くものです。それぞれの和歌のあと、☆印に続けて私の感じる詩想を記します。
今回は、80歳の彼が、熱烈な恋愛のすえ寄り添った最愛の女性を先に亡くしたとき、歌われた挽歌です。彼の歌は、挽歌は強い愛の歌であることを、教えてくれます。
●以下の詞書(ことばがき)と和歌は、出典から引用です。 建久四年二月十三日、年頃のとも(子供の母)かくれてのち月日はかなく過ぎゆきて、
六月つごもりかたにもなりにけりとゆふぐれの空もことに昔の事ひとり思ひつづけてものに書きつく
くやしくぞ久しくひとに馴れにける別れも深くかなしかりけり☆ くやしい、かなしい、あふれでる感情をそのまま言葉にしています。
西行の自薦七十二首の歌合「御裳濯河歌合(みもすそがわうたあわせ)」の批評の言葉「判詞(はんし)」で俊成は、良いと感じた歌に対しては繰り返し、「
心深し」と記しています。こころふかく感じられるうたこそ、良い歌だと。俊成のこの挽歌に対してふさわしい言葉は「心深し」だと私は感じます。
さきの世にいかにちぎりし契りにてかくしも深くかなしかるらむ☆ このうたもまた心深い、心に響く歌です。
「かなしい」という言葉で感情を歌うことを嫌う詩観をもつ批評家は、「ありふれた、垢にまみれた、使いふるされた言葉から、新しい時代の感覚、感性、思考を孕んだ現代詩は生まれない」というような言説を述べます。私はそこに驕りを感じます。
「かなしい」という受け継がれてきた言葉には海ほどもひろく深い感情、詩情がたたえられています。この素朴な短い言葉を、読みとった読者ひとりひとりが、自分の心、個性で「かなしい」と感じとれることが歌のゆたかさです。海の波の表情の多様性のままに響くことができます。
詩は作者が読者に一通りの解釈しか許さない論理、言語構造を押し付けるものではありません。ですから、わたしも作品で大切なゆたかな言葉、「かなしい」、と表現します。
なげきつつ春より夏もくれぬれど別れはけふのここちこそすれ☆ とても心に響く、ほんとうだと感じてしまう歌です。死に別れても、変らない愛が心にあるかぎり、愛するひとはともにいるのだということを、逆に教えてくれます。生きている姿ではもういないのだというかなしみをとおしてこそ。
いつまでかこの世の空を眺めつつゆふべの雲をあはれとも見む☆ 亡くなった愛するひとへの想いが、思う自らのいのちに向けられます。あなたを想い、あとどれくらいひとり生きるのだろう。離れ離れになってしまったという、「
あはれ」という言葉に込められた心深い詩情には、死んだ後にふたたび添い遂げたい、あえるだろうか、という思いが滲んで感じられます。抒情歌があはれの歌だと、教えてくれるように感じます。
また法性寺の墓所にて
草の原わくる涙はくだくれど苔のしたにはこたえざりけり苔のしたとどまるたまもありといふゆきけむかたはそこと教えよ☆ 二首ともに、墓所での歌であるだけに、肉体、亡骸への意識が強く、感じられ、沈痛な嘆きは、生き死ぬことへの問いかけとなって心に響きつづけます。俊成が死ぬ間際まで、いつわりない愛の抒情歌人であったことを、歌の心深さに教えられます。
出典『新古今集歌人論』(安田章生、1960年、桜楓社) 次回も、藤原俊成の愛の歌、挽歌を感じとります。10月16日(木)の公開になります。
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