平安時代末期から鎌倉時代初期の動乱の時代に生きた歌人、
藤原俊成(ふじわら・しゅんぜい、としなり)の和歌から、私の好きなうたを選んで、感じとります。全4回の最終回になります。
俊成は90歳すぎまで長生きをしましたが、最晩年まで、抒情性ゆたかな愛の歌をうたいつづけて生きたことを、私は深く尊敬しています。
出典にない現代語訳をつけることはしませんが、彼の歌は訳さなくても今のこころに響くものです。それぞれの和歌のあと、☆印に続けて私の感じる詩想を記します。
前回に続き、彼が熱烈な恋愛のすえ寄り添った最愛の女性を先に亡くしたとき、80歳をすぎて歌われた挽歌です。彼の歌は、挽歌は強い愛の歌であることを、教えてくれます。
●以下の詞書(ことばがき)と和歌は、出典から引用です。 七月九日秋風あらく吹き雨そそぎける日、左少将まうできて帰るとて書きおける
たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風 (定家) 返し
秋になり風の涼しく変るにも涙の露ぞしのに散りける☆ 俊成が亡くした愛する女性は、
藤原定家の母です。
定家のこの「たまゆらの」哀歌については、次のエッセイに記しました。
赤羽淑ノートルダム清心女子大学名誉教授の著作
『定家の歌一首』に収録されている、とても優れた論考をもとに記しています。
「
藤原定家の象徴詩」(←タイトルをクリックしてお読み頂けます)。
☆ 返しの、俊成の歌は、定家との歌の個性の違いをよく伝えています。こころの調べの流れるままに言葉が涙の露となり美しく悲しみのままに、散っています。
とても心に残る、歌の取り交わしで、この歌の響きの彼方に、愛された女性、愛された母の、おもかげ、人間性の魅力が、悲しく二人を見守り、微笑んでいるように、私は感じます。
またの年二月十三日忌日に法性寺にとまりたる夜、松の風激しきを聞きて
かりそめの夜半もかなしきまつ風をたえずや苔のしたに聞くらむ☆ 亡くなり墓に身を横たえる人を想う心が、哀切です。たまに訪れた俊成にとってさえ悲しく痛い松を葉を揺らし吹く風を、苔のした、どんなに悲しく、と。心に響きます。
思ひきやちよと契りしわがなかをまつのあらしにゆづるべしとは☆ 俊成は年を重ねても純真さを失わない歌人だから、愛しあう男女は、千代に、永遠に、契り、結ばれ続けると、信じていると私は思います。それだけに、愛する女性に先立たれ、離ればなれとなっている、今の状態のほうが、不可思議な、かりそめの、状態だと感じているように思います。この世でも、二人死んだ後にも、永遠に、結ばれ続ける運命なのに、と。
次の日、墓所にて
いつまでか来てもしのばんわれもまたかくこそ苔の下にくちなめ☆ このうたは、離れ離れに、いま、ほんのひととき、されてしまってはいるが、もうすぐ私も死んで愛に逝くよ、と囁きかけているようです。
しのぶとて恋ふとてこの世かひぞなき長くてはてぬ恋のゆくへに☆ 愛と死の絶唱です。愛しあう二人にとって、この世で恋い偲びあった時間はかけがえのないものだけれども、長くて途絶え果てることの消してない、永遠の波間で愛しあい続ける、運命の二人なのだから、と。俊成が死んだあと、ふたたび遂げられる恋のゆくえを、みつめていて、美しいです。
この歌には、
ジャン・ジャック・ルソーの小説『新エロイーズ』の悲しい女主人公ジュリが愛する人に最後に伝えた手紙の言葉と深く響き合う感動があります。次のエッセイに記していますので、感じとって頂けると嬉しく思います。
「
ルソー『新エロイーズ』。あなたを愛しますと言う権利を。」(←タイトルをクリックしてお読み頂けます)。
ルソーが心深い人間であったように、藤原俊成は、心深い、愛をしる、抒情歌人だと私は敬愛します。人の心は、時と地を越えて、響き合えるのだと、彼らは文学をとおして教えてくれます。
出典:『新古今集歌人論』(安田章生、1960年、桜楓社) 次回からは、藤原俊成撰の「千載和歌集」の恋歌を感じとります。
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