平安時代末期から鎌倉時代初期の動乱の時代に生きた歌人、
藤原俊成(ふじわら・しゅんぜい、としなり)の和歌から、私の好きなうたを選んで、感じとります。今回から4回になります。
俊成は90歳すぎまで長生きをしましたが、
最晩年まで、抒情性ゆたかな愛の歌をうたいつづけて生きたことを、私は深く尊敬しています。
出典にない現代語訳をつけることはしませんが、彼の歌は訳さなくても今のこころに響くものです。それぞれの和歌のあと、☆印に続けて私の感じる詩想を記します。
今回は、彼の熱烈な恋愛の歌です。愛する想いを直情、あふれでるままに、あつい言葉にしています。
●以下の詞書(ことばがき)と和歌は、出典から引用です。男は俊成の歌、女は女性による返歌です。
男
恋せずは人は心もなからましもののあはれもこれよりぞ知る☆ 最初にこの歌をのせたのは、私の共感を強さからです。人であること、恋すること、恋は心であり、あわれであること、それが抒情歌、歌であること。そうだとこころが木魂します。
秋の頃、嵯峨の山の方に遊びけるに、行き暮らして、ほの見ける女の許にしばしば文遣はしけれど、
返事もせざりければ遣はしける
男
憂かりける秋の山路を踏み初めて後の世までも惑ふべきかな☆ 俊成が運命の女性と出会い、最初に贈った恋歌、恋文です。秋の山路を踏みしめ出会った女性が、運命のひとであり、その山中の恋の道から生涯のがれでることはないだろうと、直感しているこころが、ゆれうごき、響いています。
女に遣はしける 皇太后宮田大夫俊成
男
よしさらば後の世とだに頼め置けつらさに堪えぬ身ともこそなれ 返し 藤原定家朝臣母
女
頼め置かむたださばかりを契りにて浮世の中の夢になしてよ☆ 俊成と女性(藤原定家の母となったひと)は容易には結ばれぬ環境に阻まれていたので、後の世、つらさ、という言葉が切実にこころに響きます。女性の返歌は、浮世の夢になしてよ、と無理だとおよび腰に弱々しく儚げで、あわれです。
逢ひ難くて逢ひたりける女に
男
つらさにも落ちし涙の今はただおしひたすらに恋しかるらむ☆ 詞書もありのままに素直ですが、逢い難いなかでようやく逢うことができた喜びがあふれでています。つらく、泣いてばかりいたが、逢えたいまは、ただ「ひたすらに恋しかるらむ」。美しい言葉です。
いかなるあしたにか人に遣はしける
男
いかにせむいかにかせましいかに寝て起きつる今朝の名残なるらむ 返し
女
いかに寝しいかなる夢の名残りぞと怪しきまでに我ぞ眺むる☆ 逢瀬を果たした後朝(きぬぎぬ)の歌で、ふたりの夢のような愛の時間をふりかえり、もう一度、夢ではなかったねと、確かめあっています。女性の返歌は、俊成のストレートな強い情を、とても素直にうけとめ、木魂しています。いったいの愛の歌となり、響きあっています。
恋により、あわれを知った、男女、人の、心ある、美しい歌が、私はとても好きです。
出典『新古今集歌人論』(安田章生、1960年、桜楓社) 次回も、藤原俊成の恋の歌を感じとります。
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