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歌には何しにか韻はまことにあるべき『古来風躰抄』藤原俊成(三)

 日本の詩歌、和歌をよりゆたかに感じとりたいと、代表的な歌学書とその例歌や著者自身の歌を読み、感じとれた私の詩想を綴っています。
『千載和歌集』の撰者、藤原俊成式子内親王に贈った歌論『古来風躰抄(こらいふうていしょう)』に記された、彼の和歌、詩歌の本質についての想いへの共感を記します。最終回です。

 今回引用した箇所での彼の言葉も、歌のほんとうの姿をとらえようとする俊成のまなざしの強さを感じます。
歌学者が、外来の漢詩を模倣して、舶来品の知識をみせびらかし、「歌病(かへい)」(歌をつくるうえでの決まりごと、禁制、犯してはならないルール)を、むりやり、日本語の詩歌に当てはめて、詩学、歌論、批評を、権威ぶって論じていることに対して、俊成はずばりと言い放ちまず。
 「見苦しく聞え侍る」、見苦しいと。
 そして、日本語の詩歌の本質について述べます。
 「まことには、歌には何しにか韻はまことにあるべき。」実際には、歌には決して韻は本当はないのである、と。
 
 古代から今に至るまで、海外の文芸思潮に学び、感じとろうとすることは心豊かなことであっても、憧憬の強さの余りに、模倣し、権威づけに利用する評論家、学者に、次のくだりは、聞かせたい言葉です。

 中国の学問もしない者が、物知り顔をしようと思って、形どおり漢詩に関する書物の一端を年老いた後に習って、「毛詩に言っているのは」「史記に言っているのは」など申すということは、本当に見苦しいことである。

 そのうえで、彼が、日本語で詠む詩歌の本質について語る言葉は、とてもシンプル、率直、ありのままです。
 「歌は、ただ構(かま)へて心姿(こころすがた)よく詠まんとこそすべきことに侍れ。」歌は、ひとえに心にかけて「心姿」を上手に詠もうとすべきことである。

 これだけでは、とらえどころのないような言葉ですが、「古来風躰抄」で俊成は、彼がよいと心に感じる、数多くの和歌を書きうつし、感じ、伝えています。

 美しいものは、批評し論じようとても、指のあいだをすりおちてしまいます。美しいものは、そのものを、みつめ、感じとるとき、はじめてそのよさが心に感じとられ、心をふるわせてくれます。
 和歌、詩歌もおなじだということ、歌そのものを読み、感じ、心に響かせ、愛することの大切さを、「古来風躰抄」で俊成は、伝えてくれます。

●以下は、出典からの引用です。

また、この近き頃承(うけたまは)れば、長歌にも、短歌・反歌にも、「韻(いん)の字」などと申すなる、いと見苦しく聞え侍ることなり。詩の病など申すことに準(たずら)へて式を作り、病を立てなどする程(ほど)に、「韻の字の」など申すことは、ただ歌によりては、上(かみ)の五七五の終りの句、下(しも)の七七の句の終りの文字などを、「韻の字に同じ文字置けるは憚るべし」などいふばかりなり。まことには、歌には何しにか韻はまことにあるべき。(略)
詩の韻に準(たずら)へて、果ての文字のこといはんとて、「韻の字の」などうち申すばかりこそあるを、まことしくほどなき三十一字の歌のうちなどに、胸の句には五七の七の句の終り、中の五字の終りなどを、「韻の字の」など申すらんことども、いといと見苦しきことなり。漢家の学問などもせぬ者の、もの知り顔せんとて、形(かた)のごとく文の端々(はしばし)など老いの後(のち)習ひて、「毛詩にいへるは」「史記にいへるは」など申すらんこと、いといと見苦しく侍り。歌は、ただ構(かま)へて心姿(こころすがた)よく詠まんとこそすべきことに侍れ。

  <現代語訳>
また、近頃伺ったところでは長歌にも、短歌・反歌にも、「韻の字の」など申すとかいうのは、全く見苦しく思われることである。漢詩の病などと申すことに準じて和歌式を作り、歌病を立てたりする間に、「韻の字の」など申すことは、ひとえに歌については、上の五七五の句の終りの文字、下の七七の句の終りの文字などを、「韻の字に同じ文字を置いたのはさけるべきである」などと言っているだけである。実際には、歌には決して韻は本当はないのである。(略)
漢詩の韻に準じて、句の終りの文字のことを言おうとして、「韻の字の」などと申すだけのことであるが、真実らしくわずかな分量である三十一文字の歌の中に、第二句では五七の七の句の終りの文字、第三句の五字の終りの文字などを、「韻の字の」など申すとかいうことは、本当に見苦しいことである。中国の学問もしない者が、物知り顔をしようと思って、形どおり漢詩に関する書物の一端を年老いた後に習って、「毛詩に言っているのは」「史記に言っているのは」など申すということは、本当に見苦しいことである。歌は、ひとえに心にかけて「心姿」を上手に詠もうとすべきことである。

出典:「古来風躰抄」『歌論集 日本古典文学全集50』(有吉保校注・訳、1975年、小学館)

次回は、藤原俊成自身の恋歌を感じとります。
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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