赤羽淑『藤原定家の歌風』を読み喚起された私の詩想を記します。対象は、第三章作風、第九節光と闇、この本の最終節です。
この節で著者は藤原定家の一首をとりあげ、彼の過去と後年の作品、俊成や同時代の歌人の理解、現在の批評、その文法、古典での用例をとおして読み解き、実証し、さらには藤原定家の思想から中世という時代の思想にまで考察し問いかけています。
多様なテーマについての読み取りができる豊かな著作ですので、焦点を絞り、和歌、詩歌という表現の本質にかかわる比喩という表現方法について、感じたことを記します。著作からの引用箇所は<以下、引用>と明示します。
まず、赤羽淑が著作の結びのこの節でとりあげた藤原定家の和歌は。
<以下・引用>
をちこちにながめやかはすうかひ舟やみを光のかがり火のかげ(歌合百首819)<引用終わり>
つづけて著者はこの歌が詠まれた背景と、情景を次のように語ります。
<以下・引用>
「六百番歌合」の「鵜河」と題する一首である。建久四年、定家三十二歳の作で、創作力がもっとも充溢していた時期の歌だけに、光と闇のイメージが究極的なあり方で捉えられている。
流れの遠近(おちこち)で互いに眺め交わしているのだろうか。鵜飼舟の篝火の影は闇を貫いている。鵜飼舟の上にいる鵜匠たちが眺め交わす目は暗闇に隠れて見えないが、篝火の交錯でそれとしられる。(略)
闇が濃ければ濃いほど篝火の影は光を増し、篝火が輝けば輝くほど暗闇は深まる。といった情景であろうか。<引用終わり>
そのうえで、この節の主題について提示し、著者の考えを簡潔に明示しています。
<以下・引用>
ここで問題にしようとするのは「闇
を光
の」の解釈についてなのであるが、文法的に見ると、「闇
が光
であるその」という具合につづいてゆく。
「を」を主語の位置にあるべき語につくものと解し、「の」を陳述性を表わすものとして解するのである。「闇が光である」という論理的には矛盾した表現が、イメージとしては矛盾でも飛躍でもない。現象の本質を捉えた表現となっている。(略)
鵜飼舟にとっては闇が光なのである。 (略)この一首は、「鵜河」という題の本意に迫るにとどまらず、光と闇の根源にまで迫るものとして注目される。
「闇を光の」という
極度に省略され、抽象化された表現から、われわれは「闇」そのものの純粋なイメージを喚びおこし、つぎに「闇」を「光」として燃える篝火の影を喚び起こすであろう。<引用終わり>
私の詩歌についての基本的な考えを先に記しますと、詩歌は作品として読者にたいして提示されたときから、母の子宮からこの世界に産み落とされた生命として、命をもち息づく独立した存在になるので、その存在をどのように受け止めるかは読者の心、感受性と知性と気まぐれにゆだねられます。
論理で意味の脈絡を明確に伝えることを目的とする散文とは異なり、韻文の作品である詩歌は、その意味も、調べやイメージや文字の形と同等な表現要素のひとつです。ただひとつの正解とされる翻訳・解釈はありません(意味だけを伝える目的なら初めから詩ではなく散文で表現します)。
ですから、和歌一首、詩一作品を、どのように感受し解釈し受け止め想像を膨らませていくかは読者にゆだねられた自由です。
この基本の理解のうえで、作者の立場からすると、優れた表現は、そのような言葉のつながり・形でしか表わしようがなかったと自ら気づくような愛しいものです。母親が生まれでてくれたひとつ限りの命をいとおしまずにはいられないように、誰がどのようにいおうと、大切なものです。
赤羽淑は、藤原定家のこの一首について、同時代の歌人にどのように受け止められたか、定家の父である
藤原俊成の批評を通して、次のように興味深く伝えています。
歌合での批評の言葉からみると藤原俊成はこの歌について、
<以下・引用>
(略)十分に納得がいかず、意味的に不透明なところがあるというのであろう。それは、この部分で非論理的な飛躍があって、喩に転換されるからではなかろうか。
「闇を
光の」の「光」は、現象としての光ではなく、
暗喩としての光である。(略)
「光によって物が見える」という関係を「闇によって光が見える」に置換え、逆転したものなのである。(略)
鵜飼舟にとっては闇が光の役割を果すのである。この逆転が
理屈ではなく、イメージによっておこなわれるところが一首の眼目なのであろう。<引用終わり>
正直に書きますと、私は初め、この節の冒頭に示されたこの歌で定家が何を表現しようとしているのか、なんとなくしかわかりませんでした。
をちこちにながめやかはすうかひ舟やみを光のかがり火のかげ「闇を光の篝火の影」。ひとつの意味の脈絡を限定して明示する散文表現ではないので、わからず、なんとなく、こんな感じにとどまることも間違いではありません。藤原俊成もよくわからなかったし、著者が引用している現代の校注本での理解も著者と異なります。
(新古今集の歌の評・解釈は、各時代の歌人、本居宣長やさまざまな研究家によって、ばらばらです。真逆の理解・好悪がぶつかり論争も生じますが、わたしはさきほどのべたように、どれかひとつがただしいわけがないと思っています)。
ちなみに、久保田淳『藤原定家全歌集』(ちくま学芸文庫、上、174頁)の現代語訳は「遠くや近くで眺めあっているだろうか。鵜飼舟のかがり火の光は、闇を往き来している。」となっていて、「やみを光のかがり火のかげ」は深入りせずさらりと流して無難な情景描写としての解釈にとどめています。
赤羽淑のように、この歌の「闇を光の」という表現を、直観できた読者は、時代を通じて多くはなかったと思います。
私はこの本を読んで、目を見開かれるような、とても新鮮な、感動に似た思いを抱かずにはいられませんでした。
作者の藤原定家は少なくとも、この歌合にこの歌一首を提示した時点では、赤羽淑が直観したものを、作者としてこの歌にこめて生みだしたように、私は感じました。きっとそうです。
それが成功したか、伝わったかは別として、このようにしか表わしようのない表現だからです。(ただし断定はできません。詩に誤読はつきもの、というより、詩は誤読する自由に満ちた魅力的な文学形式です)。
作者の藤原定家自身が、この一度限りの優れた表現を、後年の同様な題・テーマに対して作った作品では、繰り返すことも、深めることもできず、より多くの読者にわかりやすい表現をしていると、著者は続けます。
<以下・引用>
われわれはそれを感性の次元でイメージとして受けとればよいはずであるが、作者はそれでは十分に意を尽くせなかったからか、あるいは人びとに理解してもらえなかったからなのか、「千五百番歌合」においては、「いかにちぎりてやみをまつらん」と意味の脈絡において表現した。<引用終わり>
ひさかたのなかなる河のうかひ舟いかにちぎりてやみをまつらん(久方の中なる河の鵜飼舟いかに契りて闇を待つらん)
「どのように契って闇を待っているのだろう」。私も意味のつながりがわかる散文のような表現の歌です。
このことをとおして、赤羽淑は、和歌、詩歌という表現形式の特質、本質について、とても鋭く記します。
<以下・引用>
その結果理解しやすくはなったが、もっとも肝心な何かが脱落してしまった。それは、ぎりぎりのところまで言葉を抽象化して要素的なものにまで還元するところから発するエネルギーとか、また価値の逆転から来る迫力とか、ネガの世界のもつ不思議な美しさとか、建久期には豊富に所有していたこの作者独特の持味がかげを潜めてしまった。<引用終わり>
ここでの著者の言葉には、詩の本質についてとともに、作者藤原定家の作風の変化についての思いも込められて感じられます。この節での冒頭で、とりあげられたこの一首が、定家のもっとも創作力が充溢した時のもの、との言葉がありました。ここには、この後の定家の歌が、平明、平坦に意味をつらねただけで起伏と陰影のない散文になってしまった、との含みがあります。
(私は最近やっと、定家の私家集「拾遺愚草」を通読できましたが、一読者としてもそのように感じました。五十歳頃から亡くなるまでの述懐歌や賀歌などには歌道の権威となった者の、俗な見苦しい作品も多く混じります。)
定家を少し離れて詩歌という表現について考えるときにも、比喩、特に暗喩(メタファー)は避けて通ることのできない岐路に位置します。
例示しますと、
直喩は、
海に沈んでゆく「オレンジのような」夕陽。 のように、何に喩えているかを明示する表現方法です。
一方、
暗喩は、
「悲しみの塊が地球の鼓動に落っこちる。 のように、よくわからないながらもなんとなくそれ以外にない象徴的なイメージのようなものを伝える表現方法です。
どちらの表現方法がより優れているかとの優劣はつけられません。
現代詩は、ここ数十年は、暗喩の塊で、暗喩でなければ詩ではない、というような傲慢さに満ちていたために、とてもつまらないものになってしまいました。暗喩は多くの場合一回限りの魅力的な表現ですが、作者に「読者にはわからなくてもかまわない」というような表現への驕りと甘えが混じりやすいので、作者と作品の質を堕落させがちです。
「意味がわからない」のは読者が悪いのではなく、もともと詩はそのような表現でしかないけれども、それでもそんな形でしか伝えようがない、伝えずにはいられないものを、書いてなんとか伝えようとする、願いと情熱と表現者としての魂が欠けているだけです。
意味の脈絡のとれない単語をランダムに連ねることだけなら、コンピューターのほうがよほど優れて排出でlきます。現代詩の多くはコンピューターに劣ります。
逆に、暗喩の少ない、直喩だけの表現は、意味のわかりやすさだけに甘えるなら散文と変わらなくなってしまいます。少なくとも、言葉の音楽性、リズムや音色、旋律に感受性、感性を織りめぐらせることが大切です。そのとき初めて読者は、これは「詩」だと自然に感じます。
暗喩も直喩も、音楽性、形象性、想像性、象徴性と織り交ぜられて詩表現の可能性をふくらませてくれる大切な表現でありつづけることだけは間違いありません。
脱線しましたが、赤羽淑は続けて、「闇を光の」のという表現が、その文法においても定家の誤用ではなく、さまざまな和歌の用例で見られるものであることを次のように教えてくれます。
<以下・引用>
このような語法の歌として(略)
侘びぬれば身
を浮草
の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ(古今・雑下 九三八小野小町)
この歌の「身
を浮草
の」は、「身が浮草であるその」と解釈することができる。<引用終わり>
歌一首のみ引用しましたが、他の多くの和歌にとどまらず、
連歌や
謡曲での豊富な用例があげられています。また謡曲では「鵜飼」を通して仏教思想についての考察も交えられています。
用例と考察は
「古事記」、「万葉集」、「源氏物語」にもおよびます。和歌と古典を通して、人間はどのように表現し思いを伝えようとしてきたか、伝えずにはいられなかったか、人間という存在、中世という時代について深く考えさせられます。とても豊かな、魅力にみちた思索です。
<以下・引用>
以上述べて来たことを「闇を光の」に戻って考えてみるとき、この非論理的な語法は、伝統的な見立てや喩の技法によるものであることが明らかになった。
しかし、「闇が光である」という見立ては、そのような伝統を超え出たものがある。光も闇も相対的なものでなく、絶対的なものであるから、類比とか対比を絶するところがある。
それはやはり、従来の
価値の逆転であり、世界の逆転でもある。そこにわれわれはネガティブなものを表に取出す中世的な発想の典型を見出すことができるのではなかろうか。<引用終わり>
藤原定家の和歌一首を通しての鑑賞と感受と思索と読者への投げかけを、次の言葉で赤羽淑は結びます。
<以下・引用>
完全に「闇」に逆転したところから見えはじめる篝火の影にも似た妖しげな光こそ、定家がこれから
表現しようとする美ではなかったろうか。<引用終わり>
詩歌と美と人間をみつめ愛する者の言葉だと私は胸に刻み、表現し人に伝えていくための種子とします。
出典:『藤原定家の歌風』(赤羽淑、一九八五年、桜楓社) 参照:
ウィキペディア 赤羽淑
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