赤羽淑(ノートルダム清心女子大学名誉教授)の著作
『藤原定家の歌風』(一九八五年、桜楓社)を読むことができました。
目次を記しますと、
第一章 歌人としての生活(第一~第五節)
第二章 歌風の形成(第一~第七節)第七節・否定的表現。
第三章 作風(第一~第九節)韻律、押韻、母音の構造、空間、時間、イメージ、夢、面影、光と闇。
私は特に第二章、第三章から、詩歌について様々な視点を学び詩想を喚起されました。(最終章最終節の「光と闇」についてはこことは別に私の詩想を書きます。)
ここでは第三章の韻律、押韻、母音の構造の節についての読後感だけ短く記します。
近現代の詩人では
萩原朔太郎が、詩歌を言葉の音楽として捉え優れた考察をしていると私は考えていますが、赤羽淑はこの著作で詩歌の音楽についてさらに微細な領域にまで踏み込み考察しています。
定家の歌の調べの雪のように奥深い美しさを、精神の顕微鏡により雪の結晶の映像にまで拡大して見極めようとし、変化の無限のまえで立ちすくみつつも、歌の美の無限を伝えてくれているように感じます。
雪の結晶は瞬間ごとに移ろいます。同じ姿をとらえることはできません。
けれども、「雪の結晶」がどのような変化する姿で生じ消えるかということを優れた研究は教えてくれます。
私が詩の作品を雪の姿であらわすとき、みえない言葉の結晶のゆらぎにより詩の作品がかたちづくられている秘密を、赤羽淑の研究は解き明かしていると感じます。
赤羽淑の著作
『定家の歌一首』(桜楓社)に喚起され、藤原定家の歌について以前にも書いた記事があります。この本では詩歌の調べ、韻律については、雪のように美しいこと、そしてその秘密は結晶だということまでが記されています。
また詩歌の、象徴性、言葉のイメージ、意味についても、なぜ雪は美しいのか、美しく感じられるのか、そのふかい考察を、(研究者の論文の形式ではない)エッセイ、随筆のような文章に、思索者、芸術家のアフォリズムを散りばめながら、感受させてくれる素晴らしい本です。私は青年期に書店で偶然見つけましたが、ずっと大切にしています。
『定家の歌一首』に喚起され書いた藤原定家についての、ブログ記事
・藤原定家の象徴詩
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-152.html・月と星、光と響き。定家の歌
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-153.html 式子内親王の歌についても赤羽淑の論文に喚起され、以前に書いています。
(藤原俊成、源氏物語についての別記事も同様にあり、検索できます)。
詩歌の言葉、その感受と表現を深めることができます。合わせてお読みいただけましたらうれしく思います。
式子内親王
・赤羽淑の論文から。式子内親王、歌の評価(一)。心ふかく。
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-658.html ・赤羽淑の論文から。式子内親王、歌の評価(二)。魂の声が。
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-659.html・赤羽淑「式子内親王における詩的空間」(一) 閉ざされて、開かれて。
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-721.html・赤羽淑「式子内親王における詩的空間」(二) はるかな空間を、ここに。
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-722.html・赤羽淑「式子内親王における詩的空間」(三) 松の戸。待つ人には開かれるはずの
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-723.html・赤羽淑「式子内親王における詩的空間」(四) 痛烈な呼びかけと、孤独と
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-724.html・赤羽淑「式子内親王における詩的空間」(五) 来る人を夢想する、歌に詠みつづける
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-725.html・赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(一)この刹那に世界がはじけ
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-733.html・赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(二)時間と空間が織りなす模様
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-734.html・赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(三)全身的な感性を視覚に
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-735.html・赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(四)過ぎゆくものを
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-736.html・赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(五)心は谷に投げはてて
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-737.html・赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(六)歌うことによって、世界につながる。
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-738.html ・赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(七)生きられる時間を「今」の瞬間に
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-739.html・赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(八)生のいとおしさ、厳粛さ
http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-740.html出典:『藤原定家の歌風』(赤羽淑、一九八五年、桜楓社)
参照:
ウィキペディア 赤羽淑
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