詩にはならない散文の、私の率直な想いを、詩想としてまとめています。
詩と文学源氏物語の、浮舟は、聖母マリアが母の悲しみを一身に身ごもり耐えたように、母になることをまだしらない、女性の、弱い立場に置かれた人の、心の傷み、涙の象徴になっています。
文学だからこそできる姿で、ふさわしく感じとられ、描きだされ、愛されているから、心打たれずにいられません。
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『千載和歌集』を恋歌の部立てから読み始めています。『新古今和歌集』のひとつ前の勅撰和歌集です。恋のうたは、弱りかけたこころを、おきあがらせてくれます。沈んだこころを、浮かびあがらせてくれます。
ひとがひとを想う愛するこころを感じると、思えます。あわプクプクはきながらも、閉じた目をひらこうと。
一市民としてわたしは法律を深く学んではいないけれど、一生活者、一市民、一主権者ではあるのだから。主権者、民意の、市民感覚の、間違っているんじゃないか? よくないんじゃないか? 未来をこわすんじゃないか? そのような疑念、不安、問いかけに対して「丁寧に説明する」と言いながら、何もせずごりおし。日本のお上の悪の象徴。
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驕る者は、可哀想にと、思う。何でもできるんだ、誰だって従わせられるんだ、お山の大将、へつらう軍団、お上は、鈍感過ぎる。
民主的でない馬鹿な行いの数だけやがて馬鹿にされ、厭われ、棄てられ忘れ去られる。
人間性、市民、蔑む者への、ご褒美。
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いまこの美しい列島で。前回の選挙で、正当に、選ばれ、多数を占めたらしい、軍団の行いから感じる、彼らの、未来への、理念とは呼べもしない、目指すところは、ただ「腹黒さ」。
他国に劣らない腹黒さ取り戻せ。腹黒く、お上に従順な、皇民に戻り、愚かなお上に従えと。
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私のような、老いぼれた世代が、最低限やってはいけないのは、これからの世代の未来の選択の自由を狭めること。
前の大戦、英霊などとごまかし強制された死。殺されたんだ国に。
自らの生死を選ぶのは自らだけ。その感覚がない者に代議士資格なんてない。選んじゃだめ。選挙権のまだない子どもたちの未来を汚してします。
心の足跡生活するための毎日の労働時間は酷く長くて、早く過ぎ去れと念じ、振り返るとあっという間の薄い年月なのに。
創作のことを思い、作品が生まれるだろうかと不安にあがき、生まれてくれるのを願い待ち、産声の喜びを感じる浮き沈みにいると、数週間、数か月前はもう遥かな昔。
その時にすべてをそそぐ、恋愛とおなじだと、感じます。
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