私の詩想を、ツイートからひろいあつめました。
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あまりに自衛隊機がやかましくわがもの顔に空に騒音をまき散らしているのを睨んでいたら、自転車で縁石に正面衝突しました。
犬も歩けば棒にあたる。
猿も木から落ちる。
ソクラテスも穴に落ちる。
わたしも友に似ているので、騒音を消せる日まで、気をつけようと思いました。
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詩の読者は、楽譜を前にしたビアニストなんだ。
創作者の音楽世界を、じぶんの個性のままに解釈し。
自由に旅し創作する。
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奇抜さ、新奇さを売りにした作品は、二度目にするとありきたりの平凡さが鼻につき、三度読む気にならない。
異端で個性の塊の斬新な作品は、初めての出会いはふしぎさと驚きばかりだけれど、二度目、三度目と、出会いが重なるたびに、輝きと感動が深まる。
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創作者に喜びがあるとしたら、自分にとってさえ、そのように未知で斬新な作品が生まれでてくる不思議さと神秘を知る一人目の読者となることで、二人、三人と、感動が伝わる人が必ずいてくれると、しずかに、確かに、知りえることだと思う。
そんな創作者でありたい。と、ショパンに想う。
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Wikipediaでみた。ショパンの生涯39年。演奏会の数は30回くらいと少なかった。
演じることより、作品をこそ創りたかった、創らずにはいられなかったのだと思う。
短かったか、長かったか、疲れきったか、本人のみが知る。
病弱だった彼のいのちと情熱はいまも狂おしく美しく作品に燃える。
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わたしのゆがんだ斜視に、ショパンと重なり映る詩人は、和泉式部、紫式部、式子内親王、西行、芭蕉、一茶、中也、賢治、放哉、山頭火、太宰。
夭逝、放浪、世捨人、それは肉体と同じ移ろう見た目の姿、仮の宿で、彼らがいまも生きているのは、いのち燃えつづける作品にだと、わたしは思っています。
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