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詩と詩集についての覚え書

 今回は、詩人の吉川千穂さんの第一詩集『再生』を読ませて頂いたことで感じ考えた、詩と詩集についての思いを見つめ直し記しました。

☆詩の批評 
 詩の一番の理解者、良いところも不完全なところも感じているのは書いた詩人です。どのような批評を受けようが、ほめまくられようが、無視されようが、自分がこのかたちがいい、この詩はいい、と感じとれたら、それは必ずいい詩だし、生み出した詩人が守りぬくものと思っています。
 振り返ったときに不完全なところに気づいたら、直してあげるか、突き放して次の作品に活かすか、決められるのも創作者だけです。私の詩のここはこうしたらと言われても自らの自発的な声でなければ私は変えません。
 詩人の細野幸子さんが、ご自分の詩について、「わたしが生んだ大切な子供たち」とおっしゃっていらして、私は心から共感します。

☆第一作品集
 私の第一作品集『死と生の交わり』は二十年前のものですが、その作品集を良いと伝えてくださったのは当時出版社にとどいた一枚の読者の方からのハガキと、ホームページを今年公開した後に詩人の神谷恵さん、山下佳恵さんがかけてくださったお言葉だけです。(私の詩を批評してくださった詩人の中村不二夫さん、磯村英樹さん、三上洋さんは、この作品集を私の原点と見てくださいました。)
 評価はされませんが私は大切ないい作品集だと今も思っています。書き直しを考えたこともありましたが、真剣だった当時の自分に対してできませんでした。この作品集を現在から見つめ直した二十代の自分との対話は、近日中に別のエッセイ「自殺を思うひとに」としてまとめ公開したいと考えています。

☆詩集
 私は、詩集は全体で楽章のある音楽のように一つの作品だと考えています。章構成に意思とまとまりと流れがあること、全体に主調音が底流していて自然に伝わることが大切だと思います。

☆詩の調べ
 生きた言葉を感じとり、生きた言葉を詩にこめる修練として、私の場合は万葉集や新古今集などの和歌、アイヌのユーカラの詩人による良質な翻訳、それらの好きな詩をできるだけ意識して読みます。長い年月伝えられてきた言葉、調べは、生きたリズムを心に甦らせてくれます。
 自分の過去の作品を読み返すことで、自分の詩の音楽を思い起こすこともします。

☆詩の言葉
 語彙を豊かにする努力、取り組みは、詩を書く上で大切だと思います。若いときには太宰治だったかの真似をして国語辞典を読んでいたことがあります。
 でも生きた詩の言葉は、伝えずにはいられない思い、織り込められるねがいの、強さ、やわらかさ、温度と、心のリズムの表れなので、生まれてくる顔かたちは、その思い、ねがいのままに、赤ん坊ひとりひとりのように、ことなってくると思います。
 祈りと叫びの詩は自然に、透明度の高い、抽象度の高い、透明な硬質な光の姿で。まっすぐな柔らかいな思いの詩は、語りかける人の生の声に近いぬくもりで包みこむような響きとなって。
 思い、願い、意味を伝えたい、そのためにいちばんわかりやすい言葉を選ぶ詩人に私は共感し、詩を感じます。
 言葉の象牙の塔をこねくりあげて、一般の読者にはわからないだろうと仲間うちで持ち上げあう人の知的な言葉の書き連ねを、私は詩とは思えず、いいとは感じません。そのような言葉遊びは、万葉集にも「無心所着歌」などとしてあったし、いつの時代にもあったけれどつまらないと思います。童謡や童話の言葉の良さを感じとれる心と、その良さにに近づきたいと思う謙虚さがないと、心に響く詩は生まれないと思います。

☆なぜ、なにを、書くか
 私にとって詩は、祈り、ねがい、人を愛する思いで、ひとりの人としての切実な思いだからこそ、他のひとりの人の心になぜか伝わるものとだけ信じ、詩はそこにしかないと考えています。多数者の多数者への言葉に詩はない、ぼくら、我ら、国民のみなさん、といった言葉に、嘘を感じてしまう人間です。
 反対に私は苦しみ悲しんでいる人の心のそばで思いを感じとろうとし語りかけようとする人の言葉、祈りの言葉、人が人を愛し思う言葉に、心が自然に揺れ、詩を感じます。
 人の社会は今だけ腐っているのではなく、はじめからずっとだ、弱い者をいじめ、本当に良い人はたぶん早く死んでしまうと思っています。でも同じ時を生きる他の人の悲しみに寄り添う優しい人はずっと昔からいたし、愛しあう深い思いは決して絶えずにあった、そのように大切だと感じられる思いを伝えていくことを選びたいと思います。利己的な争いも蹴落としあいも殺しあいもなくならないとあきらめているのか、と問われたら、私に言えるのは、なくならなくても、どんなことがあっても生きている限りは、大切だと感じとれる思い、本当のこと、好きなもの、美しいもの、愛するものを思いに込めて伝えたいだけ、それだけです。

☆どのように、書くか
 書かずには、伝えずにはいられない思いを織り込めうたうという、一番大切なものを見失わなければ、詩は生まれます。それ以外のこと、表現方法や形式は、努力し工夫すればより良くできる二次的なものです。
 読んでくださる方の好き嫌いはどうにもできないのだから、作者は個性のありよう、心のひろがり、思いの幅を、窮屈に狭めずに、やはり伝えたい、伝えずにいられない思いは、生まれでてこようとする姿を生かすことが一番よいのだと思います。
 他の人の心と共鳴できるのは心のある部分部分で、対する人により重なりあう領域、深さはことなるけれど、全体を愛せるのは作者だけですから、批評に左右されず、詩集全体を愛して、そこで表現された心のひろがりをさらにひろげ、思い、叫び、心の表情を、おし殺さず、よりゆたかにすること、解き放つことを大切にして、詩を生みたいと思います。
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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