前回の
作家・崎本恵さんの
小説『時の疼(いた)み』と深く響きあう
峠三吉の『原爆詩集』を感じとります。
政治家は、「国家」のため「民族」のため「社会」のためという概念のごまかしのなかに、ひとりひとりの顔と命を覆い隠し見えない状態にして、有権者、選挙権のない子供たちを追い込みます。
だから原爆計画を用意周到に計画し実行した政治家、軍部、兵士を私は憎まずにいられず、決して許せません。でもだからこそ同時に、「アメリカ」のなかにも弱者がいることと、「アメリカ」のなかにも戦争を憎悪し原爆投下に反対し憤るひとも必ずいたはずだということを忘れてはいけないと私は思います。
峠三吉もこの詩集を次の冒頭の言葉で、広島と長崎の被害者に捧げ、そのうえで
「全世界の原子爆弾を憎悪する人々に」捧げています。このことを忘れてはいけません。彼が政治家ではなく、詩人として生きた証しの言葉だと、私は感じます。
―― 一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。 峠三吉は、広島の原爆被爆の悲痛な惨事への憤りと鎮魂のどうしようもない思いを『原爆詩集』に書きとめ伝えてくれました。今回はまず、この詩集の「あとがき」冒頭の言葉と、「にんげんをかえせ」として、よく知られている詩集全体の叫びが凝縮し響いている『序』を引用します。
次に、
詩人・森田進が編んだ美しい
『クリスマス詩集』から、
峠三吉の詩「クリスマスの帰りみちに」を引用します。森田進はこの編著の解説
「詩とクリスマス」で、峠三吉のこの詩について次のように問いかけます。
「(略)
三吉は、カトリックの信徒でした。共産主義とキリスト教をどのように自覚的に生きたのか、は、いまだに詳しい解明はされていませんが、この詩を読めば、被爆したあの敗戦後の最初のクリスマスの夜、教会の礼拝に参加したのです。神と戦争について考え考えながら、少女と私が雨の中を歩いているのです。この詩の最終行を巡って、一部で論争が続いています。この一行の重たさを皆さんはどのように受け止めますか。」
私は、彼の詩を繰り返し読む時に、自分自身のうちに込み上げてくる思いの熱さや揺れ動きが、それがたとえ整理できる概念とはならなくても、彼という人間の問いかけに最も近づけている瞬間ではないかと思います。
(この『クリスマス詩集』には、私が敬愛する
詩人・原民喜の詩「家なき子のクリスマス」も収録されています。この時彼は人間にも神にも完全に絶望していると私には感じられてしまう悲しい詩なので、今年8月彼の詩について書いた時と同じように今回も引用はできませんでした。)
次回は、峠三吉の『原爆詩集』の詩そのものを見つめます。
今年、どうしようもない悲しみ苦しみを耐えられているひとりひとりの方、子どもたち、お年寄り、懸命に生きられていらっしゃる方に、どうか良いクリスマスが訪れてくれますように。
● 以下は
出典1からの引用、原文の紹介です。
「あとがき」 私は一九四五年八月六日の朝、爆心地より三千米あまり離れた町の自宅から、市の中心部に向って外出する直前原爆を受け、硝子の破片創と数ヵ月の原爆症だけで生き残ったのであるが、その時広島市の中心より約二千米半径以内にいた者は、屋内では衝撃死又は生埋めにされたまま焼死し、街路では消滅、焦死あるいは火傷して逃れたまま一週間ぐらいの間に死に、その周辺にいた者は火傷及び原爆症によって数ヵ月以内に死亡、更にそれより遠距離にいた者が辛うじて生き残り、市をとり巻く町村の各家庭では家族の誰かを家屋疎開の跡片づけに隣組から出向かせていたため骨も帰らぬこととなった。またその数日前ある都市の空襲の際撒かれたビラによるという、五日の夜広島が焼き払われるという噂や、中学校、女学校下級生たちの疎開作業への動員がこの惨事を更に悲痛なものとさせたのである。
序ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
● 以下は
出典2からの引用、原文の紹介です。
クリスマスの帰りみちに焼跡の町に夜の雨は優しく霧をながす
クリスマスの調べは神話のように心にともる
少女とわたしは焼跡の電車道を黙って歩く
戦後最初のクリスマスは焼け焦げた臭いの中にひそやかで
神は戦争の悲しみの奥でお菓子のように美しい
少女とわたしは泥濘の上を軽わざ師のように渡る
渡ってゆく原爆の廃墟は闇の中で無数にささやく
神と戦争について様々な不協和音をささやく
少女とわたしは然し黙って鉄を踏み材木をまたぐ
通過して来たクリスマスの雰囲気は霧雨よりも優しく
生き残った青春は風にゆらぐ樹木のように重い
この重さに耐えて少女とわたしは歩く
神があってもなくっても少女とわたしは歩きつづける
出典1:
青空文庫。入力:広島に文学館を! 市民の会、福田真紀子。校正:LUNA CAT。2004年。底本:「新編 原爆詩集」青木書店。1995年第1版第1刷発行。
参考:『原爆詩集』<平和文庫>(峠三吉、2010年、日本ブックエース)。*この平和文庫では、永井隆『この子を残して』、『長崎の鐘』、原民喜『夏の花』、大田洋子『屍の街』も刊行されています。
出典2:
『クリスマス詩集 この聖き夜に』(森田進編、2004年、日本キリスト教団出版局)。底本:『にんげんをかえせ 峠三吉全詩集』(1971年、風土社)、『にんげんをかえせ』(1995年、新日本出版社)。
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