立ち寄った図書館の棚に見つけた二冊の詩のアンソロジー集を読んでみました。
一冊は、
『ことばの流星群 *明治・大正・昭和の名詩集』(大岡信・編、2004年、集英社)。1984年日本ペンクラブ編の『愛の詩集 ことばよ花咲け』(集英社)を再編集したものだそうです。
もう一冊は
『心の詩集 文藝別冊』(2000年、河出書房新社)です。
今回はこの二冊に感じたことを率直に綴ります。
『ことばの流星群』。アカデミックな詩人が編んだアカデミックなアンソロジーですが、失望しました。
戦前「明治・大正」「昭和Ⅰ」は、男性のエリート詩人しか見る視野と感性がない。
後半、戦後「昭和Ⅱ」は読まないほうがいいと思いました。詩が嫌いになります。こんなアンソロジーを出すから、詩は誰からも相手にされなくなったのだと感じました。良い詩人もなかには選んでいるけれど、選ぶ作品が編者の嗜好に偏り悪い。
明治、大正、昭和・Ⅰ(戦前)にはいい詩があるけれど。それ以後は言葉の瓦礫。
頭がいい人たちが、幼稚に、遊んでいます。こんなの詩じゃないと感じる感性がまともです。
詩の暗黒時代。忘れさられてほしいアンソロジーです。詩がほんとうに好きな人間には耐えがたい。
この一冊だけだと私が詩が嫌いだと思われかねないので、バランスを保つようもう一冊の感想を加えました。
『心の詩集』。面白く、楽しく読めました。アカデミックではない詩人、童謡、歌謡、ミュージシャンの歌詞までごっちゃにまぜこぜにしたおもちゃ箱のようです。
名を知られた詩人に加え、金子みすゞ、まど・みちお、サトウハチロー、中島みゆき、忌野清志郎、井上陽水、喜納昌吉、尾崎豊、ビートたけしまで詰め込んでいます。
このような編集になるのは、特に
戦後生まれの世代の良い詩人の良い詩を編集者が見つけられない、知らないからだろう、上にあげた
ミュージシャンの歌詞のほうに言葉遊びの現代詩人より詩を感じているからだろう、と思いました。
前者については、知られていない良い詩人がいて、良い詩が今もあることを、私は伝えていこうと思います。
後者については次のように思います。
私自身が、現代詩ではなく、ミュージシャンの歌に感受性、心を育まれました。私は、童謡や、ここにあげられたミュージシャンの歌が好きです。だからジャンルの境界線をつくって閉じこもるのはつまらないと思います。アカデミックな詩壇の詩人の詩、商業詩誌の楽屋仲間の詩の多くがつまらないのはその典型だと思っています。
そのうえで、詩を書く一人として残念に思うのは、これらのミュージシャンの歌詞が、言葉の詩として選ばれより前面に編集されてしまう事実です。これらの歌詞はメロディーと声と演奏といったいの本来の全体の姿から、言葉だけはぎとられた仮の姿です。文字を読む読者に向けて書かれた言葉ではなく、声で歌い伝えようと創作されたものです。それでも、時代の心を伝える詩として歌詞が選ばれてしまうのは、言葉による詩を創作している詩人がいて言葉の詩があることが忘れられている、知られていない、相手にされていない事実をまざまざと見せられるようです。
詩人が創作する詩は、本で読みとるとき、朗読で耳にするとき、(メロディーからはがされた)歌の歌詞では伝えることがとてもできないような、
感動や美しさやメッセージを湛えていないと読者に差し出せないと、私は思っています。
歌の歌詞よりもっともっと
素朴で純な想いの響きであるか、歌の歌詞よりもっともっと
広がりと深さと動きと果てしのない時間を湛えた言葉による豊かな世界、それが詩です。そのような世界を創作し伝えるのが詩人です。
詩の暗黒時代はもう終わりにしたい。宇宙空間は圧倒的に闇だけれど、星は遍在し輝いています。星のひかり、詩を、私は伝えたい、二冊のアンソロジーを読んでその思いを強くしました。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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