20世紀のはじめ
近代詩が生まれた時代からの、女性の詩をみつめています。
『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)から、好きな詩、考えたいテーマの光りを放っていると感じた詩について、私の詩想を記します。
今回の詩人は
英美子(はなぶさ・よしこ、1892年明治25年~1983年昭和58年)、この詩人とも初めて出会い、初めて作品を読みました。
『美子恋愛詩集』(1932年昭和7年)というとても魅力的なタイトルの詩集に収録されていますが、この作品は女と男の関係を、鋭く問い訴えかける作品です。
想いの強さが、詩句と詩行の強さと間の呼吸、リズムとそのままなっていて、自由口語詩が陥りがちな、抑揚のないのっぺりとした叙述とはちがう、詩の言葉として、心にとびこんできます。
この詩を読んで私には次の想いが心に呼び起こされました。
マスコミのニュースでは日常的に、政治家の失言が報道され後追いで取り消し、謝罪が繰り返されたりします。
そのなかには、女性侮蔑、女性を物としか、肉体としか、家事と子育ての召使としか、見ることができない、感じることもできない、あぜんとさせられるものがひょっこり浮びあがります。あんまりひどい下劣な表現なので書く気になれません。
私がその都度、思わずにいられないのは、英美子が明治時代に書いたこの作品の言葉そのものです。
こんなことが言えるなんて、お前を生んでくれた女性であったお母さんは、どんなに悲しいだろう。
お前を育ててくれた女性であったお母さんは、本当にかわいそう。
お前は政治屋の看板をぶらさげる前に、人の子として失格、もう顔をさらすな。母を汚すな。
作品は、私のこのような生の感情ではなく、自分の経験にろ過された心の言葉を深く静かにすくいあげた詩の言葉です。だからこそ、その問いかけには強く迫ってくる真実が響いています。
砂塵を浴びながら
英美子松毬(まつかさ)で作られた
雌鳥と雛(ひな)のコレクションを置いて
その男は、去つて了つた。
女性とは、雌鳥に過ぎない
卵を孵化(かへ)し、ひなを育てる
矮鶏(ちゃぼ)のめすに過ぎない! と。
君よ、立止まれ
実に、松毬は母を想ふまい
だが、あなたは、あなたの母を念はないか。
私は、
さう! 雌鳥ほどにうつけ者だつた
男らの言ふことを、いつも本気で聞いてゐた
だが、信じる者と、偽る者と
何れが、真の不幸者であるかは宿題だ。
祈りを識る、めんどり
切な希ひを有つ、めんどり
いつも青空を凝視する
太陽を思ふ
恥を知る雌鳥は
砂塵を浴びながら、ものを念ふ。
「だが、あなたは、あなたの母を念はないか。」の問いかけは、いつまでも私の心を揺らし続けます。
そして、最終連の詩句は、とても切実で、まっすぐで、強く、気高さを解き放つようです。
「祈りを識る」、「切な希ひを有つ」、「いつも青空を凝視する」、「太陽を思ふ」、「恥を知る」、「ものを念ふ」女性は、「砂塵を浴びながら」も美しい。
そのように、感じとらせてくれる、ひとりの女性の心から生み出された真実の言葉、この詩が私は好きです。
次回も心に響く女性の詩をみつめます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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