近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた
女性の詩人の詩をみつめなおしています。
『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされる詩について、詩想を記しています。
今回の詩人は
岸本マチ子(1934年昭和9年生まれ)です。
略歴には、
詩集『コザ中の町ブルース』『サシバ』『えれじい』その他評伝『海の旅―篠原鳳作の遠景―』などと記されています。
1987年詩集『えれじい』の収録作品で、
父と娘の心と愛情の交わりの世界に私は深く引き込まれました。年月の重なりの濃い霧がたちこめているようです。
北原白秋の童謡『城ケ島の雨』の歌詞冒頭「雨はふるふる、城ケ島の磯に、利休鼠の雨がふる。」を踏まえていて、利休鼠(りきゅうねずみ)とは色の名前です。
愚直にしか生きられなかった父に対する娘の反発と尊敬、ふたりの距離感と、深い愛に、読むと涙が浮かんでしまう、美しく良い詩だと思います。この一連の詩想でも、母にくらべて父はとても影が薄いですが、この詩の父のように娘に心から尊敬される人がいることを嬉しく思います。
以前書いたエッセイ
「詩のアンソロジー集二冊に想ったこと」でとりあげたアンソロジー『心の詩集 文藝別冊』(2000年、河出書房新社)で、作家・
江國香織さんの「父に」という詩を見つけましたが、同じ意味で感動するとても良い詩でした。
詩は人間の文学、だから
人間味(ヒューマニズム、ユマニスム)の沁み込んだ、心と愛情の深さをすくいあげてくれる、肉声の言葉が、本当の詩、大切な詩。そう教えてくれるこの作品が私は好きです。
父の色
岸本マチ子それは秋雨と呼びたい細い細い絹糸のような雨だった
季節はずれの油壺は人っ子一人いず
たった一軒残った海の家に
父とわたしまるで忘れられたさざえのように押し黙って坐っていた
なんだか短い時間でもあり無限の時が過ぎて行ったようでもあった
――ふふ さざえがさざえを食べてる
――別に笑うことはないさ このまま貝になるわけじゃなし
――それはそうだけどねえお父さん 利休鼠ってどんな色?
――どんなって・・・・・・こんな色かなあ
――えっ
――つまり俺のような色ってことさ
――フーンなんだかきたならしいさびしい色なんだ利休鼠って
――しぶといといって貰いたいね これでも精一杯の色なんだからさ
父娘で行った旅のそれだけの会話なのに
もう何年もずーっと私の胸の奥の底の方でうずき続けている
利休鼠 まだわたしにはその色が分かっていない
ろくでもない俳句などにうつつをぬかし
人に騙されて無一文になってしまった父の
まさかあの色が利休鼠だなんて
――お前にはわからないだろうけれど 人を騙すより
騙されるほうがずーっといいんだよ
――そんなこと嘘よ お父さんなんか人間じゃない
死んだほうがいいんだ こんなみじめな思いもう嫌や!
くそ親父なんか死んじまえ しんじまえ しんじまえ
・・・・・・
わたしも一緒に死のうとどんなに覚悟していたことか
でも 父が死を決意したのはそれから随分あとのことだった
――あの時お父さんが死ななくて本当によかった
だってわたし達もこうして生きてこれたんだものね
そういってそっと涙をぬぐった母
娘になんとののしられようと
――まだ死ねないまだだ と歯を喰いしばって生きてきた父は
死ぬよりもつらい生を生きて密かに死ぬ時の決断力を
やしなっていたらしい だから
脳血栓でもう駄目だと分かった時のあのはればれとした顔
実にいさぎよかった それなのに馬鹿な娘は
――お父さん死なないで! 死なないで!
小さくなった父の頭をかきいだき声張り上げて泣いたのだ
次回も女性の詩人の歌声に、心の耳を澄ませます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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