詩人の
門田照子さんが、とても心に響くエッセイ集
『ローランサンの橋』を6月にコールサック社から出版されました。
幼年時代から現在まで生きていらした歩みを、その時々の心で、目線の高さで、細やかに綴っていらっしゃいます。少女時代の
福岡大空襲の体験も、その時の少女のままの心で語られていらっしゃって、心打たれました。
私の両親と同じ世代の方ですので、父や母が生きてきた時、今と、どうしようもなく重なり、ああ、きっとこんなふうに感じていたんだ、こんな時代を生きてきたんだと、心深く感じられたことが、私にとってとても大切に思えます。
つぎに詩人として詩について、強く共感したことを二つ紹介します。
まず、詩人の
岡部隆介さんを紹介されているエッセイです。少し引用させて頂きます。(同書
「岡部隆介『摩笛』―抒情詩を生きた孤高の詩人」216頁から)。
(略)詩人は現代詩の潮流から離れ、自身の信ずる抒情詩を孤独に書き続けたのだった。西日本新聞に掲載さ れた詩人のエッセイに〈詩は花である〉という一文があり、「現代詩は難解でよくわからん……」と始まり、 (略)結びは「詩は木でいえば花でいいのだ。新を追うあまりに奇を衒うな。気品を落とすな。くりかえしていう。詩は花だ。花でいいのだ。」との主張がある。
また他日、同新聞に「現代詩は言葉と表現の実験を重ねてきたが、しょせん西欧のまね事。(略)」「日本に は西欧とは別の詩学がある。万葉集、古今和歌集、芭蕉。この抒情の伝統を詩は受けつぐべきだし、私はそれを目指してきた。」などの発言記事が掲載されている。
私はこの言葉は、私の思いそのものなので、とても感銘しました。
日本の戦後の現代詩観は、異常に歪んでいます。〈詩は花〉だということを忘れ、奇を衒い、抒情の伝統を受け継がない者だけを、仲間内で褒め合い、偏狭な視野と狭く鈍い心ししかない吉本隆明をはじめとする批評屋を大御所とあがめてきたから、文学が好きな思いと感性をもった人にさえ、もう相手にされません。
文学、詩が、言葉の花が好きな人が詩人、当たり前のことを、感じ伝える事のできずに奇を衒う吉本隆明に代表される批評屋もジャーナリズムも有害です。
どこに咲いていようが美しい言葉の花を、世俗のしがらみや商売づき合いなんかにおかまいなく、美しいと感じない人、伝えられない人、伝えようとしない人は、どんなに頭が良く議論上手で言葉巧みで世渡り上手でも、詩人ではありません。
最後にもうひとつ。著者に対して詩の師の
高田敏子さんがふたりきりのときに語ったという言葉は、詩への真摯さと、著者へのきびしさとやさしさが込められたすごい言葉だと打たれました。
「高田敏子を偲んで―追悼 高田敏子」(P222)
(略)その日、先生と二人になったわずかの間に、私は先生からきついお叱りを受けた。娘の所へ行こうと気もそぞろのうちに、締切りへの間に合わせに送った次号の作品についてであった。
今度のあなたの作品は佳作にもならない、と先生はおっしゃった。詩はコトバ、詩は志を高く、思いを新し く、生の価値観を確認して書くこと、自分の言葉に責任を持たなければ……と、ひたと凝視められて、私はただ 頭を垂れていた。
このように厳しい本当のことを伝えられる詩人を私はすごいと思い、心から尊敬します。そしてその言葉から逃げず受けとめ、忘れず抱き続けた詩人も。
このような心の交わりを生んでくれる本、詩と人を好きに思える本、人の心の思いの深さに気づかせてくれる、『ローランサンの橋』はあたたかくとてもゆたかな本です。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
こだまのこだま 動画 ☆ こちらの本屋さんは店頭に咲かせてくださっています。
八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内本店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋本店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書房ルミネ店、丸善多摩センター店、くまざわ書店桜ケ丘店、有隣堂新百合ヶ丘エルミロード店など。 ☆ 全国の書店でご注文頂けます。
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