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菅原克己の詩。青空を見ようじゃねえか。

 『日本の詩歌27 現代詩集』(中央文庫、1976年)を読みすすめています。今回は菅原克己(すがわらかつみ、1911年~1988年)の詩をみつめ感じとります。

 今回紹介する詩は、私が詩の入り口にいた頃に読んだ作品です。記憶がよみがえりました。青年時代に好きになった異性を生涯好きであるのと、詩も似ています。どちらも心に咲く花だからでしょうか。
 心うたれた記憶はいつまでも枯れません。

 この詩は詩集『遠くと近くで』(1969年)に収録されています。『現代詩集』の鑑賞文を書いている小海永二は、黒田三郎の言葉を引用しています。この作品の良さをよく教えてくれるので、私も以下に引用します。
「一読して、何かしみとおるようなものがある。詩はさらさらと何気なく書かれている。このさらさらと何気ないところに、この詩人の善意とはにかみと、その苦難の歴史と、それに対する誇りと愛着とを、自然に感ずるのである。
〈マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか〉
 それだけのことを、若者に伝えるために、この詩は書かれている。(略)何でもないようであるが、たぶんこんなふうにことばが出てくるためには、長い時間がかかり、多くの経験の積み重ねがなければならないのだ」

   マクシム
            菅原克己


誰かの詩にあったようだが
誰だか思いだせない。
労働者かしら、
それとも芝居のせりふだったろうか。
だが、自分で自分の肩をたたくような
このことばが好きだ。
〈マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか〉

むかし、ぼくは持っていた、
汚れたレインコートと、夢を。
ぼくの好きな娘は死んだ。
ぼくは馘(くび)になった。
馘になって公園のベンチで弁当を食べた。
ぼくは留置場に入った。
入ったら金網の前で
いやというほど殴(なぐ)られた。
ある日、ぼくは河(かわ)っぷちで
自分で自分を元気づけた、
〈マクシム、どうだ、
 青空をみようじゃねえか〉

のろまな時のひと打ちに、
今では笑ってなんでも話せる。
だが、
馘も、ブタ箱も、死んだ娘も、
みんなほんとうだった。
若い時分のことはみんなほんとうだった。
汚れたレインコートでくるんだ
夢も、未来も……。

言ってごらん、
もしも、若い君が苦労したら、
何か落目で
自分がかわいそうになったら、
その時にはちょっと胸をはって、
むかしのぼくのように言ってごらん、
〈マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか〉

 厳しい時代を生き抜いた詩人の、優しい言葉にふれると、疲れていても私は、そうだ、青空を見よう、そう思えます。
 今回も作品に木魂する私の詩を探しましたが、まだそれだけの経験がたりない私にはふさわしい詩が書けていないなと思いました。いつか響かせられたらと願います。

 次回も私の心に咲きつづけてくれる枯れない詩の花を咲かせます。


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『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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