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茨木のり子の詩(二)。感受性の海の真珠

 今回も詩人・茨木のり子の詩を、茨木のり子詩集『落ちこぼれ』を通して見つめます。
 彼女の詩の、子ども心につながる感性と、戦争・時代への眼差しの深さを前回記しました。

 もうひとつ、彼女の詩をとても個性的に輝かせているのは、心を直撃する言葉のメッセージが響いていることです。
 私は、詩という文学形式の魅力は、作品全体で大きく心を包むように伝えるものと、詩句一言・詩行一行で鋭く時めかせ突き刺すもの、この二つにあると考えています。
 茨木のり子の言葉のメッセージは、この後者のとても優れた結晶だと感じます。
 つぎの良く知られた詩には、この良さが光り、心に射し込み、跳ね散らばった粒子はいつまでも心から消えません。

初出は詩集『自分の感受性くらい』(花神社)です。

  自分の感受性くらい
        茨木のり子


ぱさぱさに乾(かわ)いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠(おこ)たっておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立(いらだ)つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目(だめ)なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄(ほうき)。

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


 直接的なメッセージは、鋭い光であるだけに、光を感じとれない無機物にはまったく意味をなさないものです。 詩は感受性の繊細なふるえ合いですが、感受性が干からび捨て凝り固まった震えを拒むものには、なにも伝わりません。
 小説は大きな散文の塊を少なくとも読み終えれば何かしらを投げかけうる文学形式であるのに比べて、詩は受け手の心のやわらかさで共鳴の大きさは無から無限までの幅をもちます。

 茨木のり子の言葉のメッセージは、感受性ゆたかな読み手には、無限が顔をのぞかせている青空のような美しさが響いています。
 彼女の個性的な詩作品たちのいたるところで、まぶしく光る言葉たち。私に心に射し込んだ光は、ときめきとなって次のように輝いています。

 詩「もっと強く」9連「女がほしければ奪うのもいいのだ/男がほしければ奪うのもいいのだ」
 詩「落ちこぼれ」最終連「落ちこぼれ/ 華々しい意志であれ」
 詩「みずうみ」6連「教養や学歴とはなんの関係もないらしい/人間の魅力とは/たぶんその湖のあたりから/発する霧(きり)だ」
 詩「汲む ―Y・Yに―」4連「すべてのいい仕事の核(かく)には/震(ふる)える弱いアンテナが隠されている きっと……」
 詩「この失敗にもかかわらず」4連「この失敗にもかかわらず/私もまた生きてゆかねばならない/なぜかは知らず/生きている以上 生きものの味方をして」

 忘れてならないのは、直接的な言葉のメッセージが、どのように生まれてきて響きだしているか、そのことによる違いです。茨木のり子の心うつ詩句のメッセージには必ず、彼女自身の心への自問の響きが重なって聞こえています。自分の心の底ふかくに見つけた言葉、心の海にみつけた真珠、だからまず彼女自身にとって大切な、かけがえのないものです。
 それをそっと伝えてくれるから、受けとるものも自分の心の底深く、知らなかった、見失っていた真珠を、見つける喜びをしることができるのだと、私は思います。
 茨木のり子は、詩句に光らせる厳しい言葉も、まず彼女自身に問い言い聞かせています。そうすることで彼女が見つけたものを、伝えようと差し出しています。

 彼女の周りで声高に叫ばれている考え方や思潮、世相や流行の主張、教えられた学問は、詩のメッセージではありません。心の海にぬれていないからです。感受性ゆたかなやわらかな心、詩を好きなひとには、それが心の
真珠かどうかはすぐわかります。

 初出は詩集『倚(よ)りかからず』(筑摩書房)です。

  倚(よ)りかからず
        茨木のり子


もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威(けんい)にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれくらい

じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子(いす)の背もたれだけ


 今回は最後に、私が詩の出発点で自分に言い聞かせ、心を痛め散乱させ、そのかけらをひろいあげた詩句を木魂させます。若いむき出しの硬く拙い表現ですが、伝えたかったものには、この優れた女性詩人の心と響きあうものを今も感じました。

  詩「鎮魂歌」(高畑耕治詩集『死と生の交わり』所収)。

 次回も、女性の詩人の詩を感じ取りたいと思います。


 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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