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高村光太郎 胸中から迸り出る言葉

 日本の口語自由詩には伝統の積み重ねにより確立された形式面での詩学がありません。「日本語の口語を基本言語として書かれた言葉による作品」以上には共通の約束ごとはなく、詩を書く者それぞれが自ら「詩」と感じる方法、形式で作品を作っています。
 それでも詩を読み詩を書こうとする者の間で暗黙に共有されている了解事項があり、学校の先生に教わらなくても、詩が好きな人は詩を読むことで自然に受け継ぎ身につけているのだと思います。
 私は日本語の詩について10代のとき、高村光太郎の詩を感じることで先ず学び、自ら書き始めました。(萩原朔太郎の日本語の詩についての深い考察や他の詩人の詩論を考え、より意識化したのは20代からです。)
 高村光太郎の詩についての考えは、とてもシンプルで、次のわかりやすく力強い言葉に尽きています。
「生きている人間の胸中から真に迸(ほとばし)り出る言葉が詩になり得ない事はない。」

 以下に、光太郎が詩について語った『自分と詩との関係』と『詩について語らず―編集子への手紙―』の、要点となる言葉を抜き出しました。語っている根本は共に、「胸中から迸り出る言葉が詩」ということですが、加えて次の拡がりがあります。

 『自分と詩との関係』では、彫刻と詩の関係について、彫刻は一つの世界観であり世界を彫刻的に把握する、光太郎の詩は彫刻的である、と述べます。私は、光太郎の、構築する意思が強い長編詩や物語性のある詩、「雨にうたるるカテドラル」、「クリスマスの夜」などに、光太郎のこの方向の詩の豊かな芸術力を感じます。

 『詩について語らず―編集子への手紙―』では、音楽と詩の関係について、「言語による以上、言語の持つ意味を回避するのは言語に対する遊戯に陥る道と考えるので、その意味をむしろ媒体として、その媒体によって放電作用を行う」、意味を捨てずに書く、光太郎の詩の真髄とも感じる言葉を伝えてくれます。私はこの方向の高村光太郎の詩が好きです。「火星が出てゐる」は意味が過剰な観念的な詩とも捉え得ますが、私はこの「言語による発散放出」の真摯な迫力に感動します。

 私は光太郎の強い個の芸術精神までもが戦時に、『大いなる日に』『記録』などの大政翼賛に染まったをことを、とても悲しく思い幻滅し気が滅入ります。孤高の魂の詩人と感じさせる光太郎も、生き身の、社会関係に翻弄された一人の人間だという、当たり前のことを思い知らされるからです。
 詩人が詩に、一対一の男女の皮膚感覚のある間柄を越えて、社会的な「我ら」と無神経に書くとき、私は政治家が「国民の皆様」と呼び掛けるときの、奢りと媚びへつらいを感じてしまい共感できません。この虚偽感覚を確かに持っていたのは、、有島武郎と太宰治だと私は思います。有島はあるアンケートで、政治家になったら何をするか?との問いに、辞める、と答えました。無責任のように思えて文学と政治の違いを知り、文学で志を遂げようとする有島の決意に、私は北村透谷に通じるものを感じ、共感します。太宰は決して「我ら」なんて言いませんでした。智恵子も決して言わなかったと思います。智恵子を失った光太郎は本来の詩人である我を見失い、結果として政治屋を気取った著名人としての時局に求められた雄弁をふるってしまいました。
 戦時の詩については、萩原朔太郎にも触れましたが当時の多くの著名な詩人が、当局の言論統制を結果的に支持した言葉をマスコミに発表しています。でも一括りに「当時の詩人たち」とするのは誤りだと思います。一人一人の言葉を見つめないといけないと思います。
 東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程の鳥飼行博研究室ホームページの「戦争と文学:文学者の戦争」は、事実により近づくためには、まず資料で確かめて考えることが大切であることを伝えています。紹介し私も考え続けようと思います。

 けれど光太郎には少なくとも、敗戦によって全く逆の言辞を弄し責任転嫁する醜さ、外圧で豹変してしまう骨のない愚かさを、自省する人間性と精神力は残っていたと思います。
 だからこそ、戦後、高齢で、再び美しい詩を生み出し響かせることができました。
 私は、光太郎の詩のふたつの豊かな芸術力は、智恵子との愛で高められた『智恵子抄』の詩にもっとも美しいかたちで、もっとも美しく響いていると感じます。人と人の間のこころの真実だけは、どのような時代の流れの中にあっても、決して掻き消されずに響き続ける美しい詩だと思います。

 以下は、光太郎の原文から抜き出した言葉です。紫色は強調のため私が付けました。

『自分と詩との関係』

「私には多分に彫刻の範囲を逸した表現上の欲望が内在していて、これを如何とも為がたい。(略)若し私が此の胸中の氤(いんうん)を言葉によって吐き出す事をしなかったら、私の彫刻が此の表現をひきうけねばならない。勢い、私の彫刻は多分に文学的になり、何かを物語らなければ ならなくなる。(略)この愚劣な彫刻の病気に気づいた私は、その頃ついに短歌を書く事によって自分の彫刻を護ろうと思うに至った。その延長が 今日の私の詩である。それ故、私の短歌も詩も、叙景や、客観描写のものは甚だ少く、多くは直接法の主観的言志の形をとっている。客観描写の欲望は彫刻の製作によって満たされているのである。」
「ところで彫刻とは一つの世界観であって、この世を彫刻的に把握するところから彫刻は始まるのである。私の赴くところ随所皆彫刻である。私の詩が本来彫刻的である事は已(や)むを得ない結果である。彫刻の性質が詩を支配するのである。」
生きている人間の胸中から真に迸(ほとばし)り出る言葉が詩になり得ない事はない。記紀の歌謡の成り立ちがそれを示す。しかし言葉に感覚を持ち得ないものはそれを表現出来ず、表現しても自己内心の真の詩とは別種の詩でないものが出来てしまうという事はある。それ故、詩はともかく言葉に或る生得の感じを持っている者によって形を与えられるのであって、それが言葉に或る生得の感じを持っていない者の胸中へまでも入り込むのである。ああそうだと人々が思うのである。」
「それが詩の発足で、それから詩は無限に分化進展する。私自身のこの一種の詩の分野も、詩の世界は必ず之を抱摂して詩そのものの腐葉土とするに違いないと信じている。」

『詩について語らず―編集子への手紙―』

「明治以来の日本に於ける詩の通念というものを私は殆と踏みにじって来たといえます。従って、藤村―有明―白秋―朔太郎―現代詩人、という 系列とは別個の道を私は歩いています。詩という言葉から味われるあの一種の特別な気圧層を私は無視しています。」
「元来私が詩を書くのは実にやむを得ない心的衝動から来るので、一種の電磁力鬱積(うっせき)のエネルギー放出に外ならず、実はそれが果して人のいう詩と同じものであるかどうかさえ今では自己に向って確言出来ないとも思える時があります。」
「私は生活的断崖の絶端をゆきながら、内部に充ちてくる或る不可言の鬱積物を言語造型によって放電せざるを得ない衝動をうけるのです。このものは彫刻絵画の本質とは全く違った方向の本質を持っていて、現在の芸術中で一ばん近いものを探せば、恐らく音楽だろうと考えますが、 不幸にして私は音楽の世界を寸毫(すんごう)も自分のものにしていないので、これはどうすることも出来ず、やむなく言語による発散放出に一切をかけている次第です。」
「実は言語の持つ意味が邪魔になって、前に述べた鬱積物の真の真なるところが本当は出しにくいのです。バッハのコンチェルトなどをきいてひどくその無意味性をうらやましく思うのです。」
言語による以上、言語の持つ意味を回避するのは言語に対する遊戯に陥る道と考えるので、その意味をむしろ媒体として、その媒体によって放電作用を行うというわけです。」
「それからさきの方法と技術と、その結果としての形式と、その発源としての感覚領域とについては今なおいろいろと研鑽(けんさん)中の始末で 、これが又、日本語という特殊な国語の性質上、実に長期の基本的研究と、よほど視力のきいた見通しとを必要とするので、なかなか生半可な考え方に落ちつくわけにゆきません。」
「ともかく私は今いわゆる刀刃上をゆく者の境地にいて自分だけの詩を体当り的に書いていますが、その方式については全く暗中摸索という外ありません。いつになったらはっきりした所謂(いわゆる)詩学(ポエチイク)が持てるか、そしてそれを原則的の意味で人に語り得るか、正直のところ分りません。」

出典は、青空文庫http://www.aozora.gr.jp/)入力:門田、校正:仙酔ゑびす、を利用しました。
底本:「昭和文学全集第4巻」小学館 1989年。


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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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