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田川紀久雄詩集『遠ざかる風景』(四)フクシマ原発事故で置き去りに

 詩人・田川紀久雄が今年2月20日に上梓した詩集『遠ざかる風景』から、私の心にとくに響いた詩作品、詩句をとりあげ、呼び覚まされた私の詩想を記しています。主題ごとに、全5回です。

 4回目の今回に感じとる作品は、詩「人間の哀しみよりも」と詩「埋没されていく記憶(抄)」です。
 詩集からの引用を感じとりながらその前後に☆印をつけ私の詩想を織り込んでいきます。

☆ 今回みつめる詩2篇も、昨年2013年3月に書かれています。ともに、東日本大震災、そして福島原発事故が引き起こし、引き起こし続けている、引き起こし続ける、企業と為政者による人災を主題にしています。


 人間の哀しみよりも
           田川紀久雄


どんな苦しみにも
どんな哀しみにも
耐え抜く力は誰でもが持っている
ただそこには
寄り添うものがいてのことと但し書きがある
人の心はかよわいものだ
誰かが差し伸べてくれる手を待っている
神さまや
仏さまが
ほんのちょっとの間は手助けしてくれるかもしれない
どんな宗教でもないよりはましだ
信じる事の中で
人はより強く生きられる
異教徒であっても否定してはならない
信仰心を持つ人の方が
困難と立ち向かう心を持っている
私はどんな人とも朋(とも)になりたいから
私だけの神様を持っている

山を見れば山に掌を合す
大樹を見ればその樹木に掌を合す
大海を見れば大海に掌を合す
太陽が昇れば合掌する
なんにでも心が打たれれば祈らずにはいられない
心の優しい人に出会えば微笑みを浮かべてしまう
いつどうなるかが誰にも解からない
だから今日一日を生きていられることに祈りを捧げてしまう
人とは諍いをしたくはない
犬も猫も神様に思えてしまうこともある
いつも心は穏やかでいたい

フクシマ原発事故で置き去りにされた動物をみると
人間の勝手さに怒りが湧き上がる
動物たちの眼はあまりにも哀しみに満ちている
そんな人間に神様が留まるはずがない
人間とともに生きられる動物たち
人間などこの世から消えてもいいと思ってしまう
といっても
生きているいのちを粗末にはできない
どんな罪人であってもいのちは掛け替えのないもの
懺悔した所で救われないかも知れないが
この世に生きることで償っていくしかない

自己を捨てて
苦しみ悩んでいる生き物の傍に寄り添うことが
生きることへの恩返しになる
救われぬいのちでも
いのちが救いを求めている
内なる心から
ひかりが射してくるのを感じることだ
             (二〇一三年三月十二日)

☆ 田川紀久雄は、猫好き、動物好きです。私も動物好きですが、「犬も猫も神様に思えてしまうこともある」というような言葉が自然にあふれだしてくるのは、すごいなと感じます。闘病で、毎日毎日、ひりひりと、いのちをみつめ感じている詩人だからこその言葉だと思います。

 次の感情が込められた詩句に、共感される方はおおくいらっしゃると、私は思います。
「フクシマ原発事故で置き去りにされた動物をみると / 人間の勝手さに怒りが湧き上がる」

 次のような激しい詩句にも、「人間などこの世から消えてもいいと思ってしまう」。けれどもこの言葉に続けて彼が、「といっても / 生きているいのちを粗末にはできない」と書くことに、闘病のなかで死を見据えるひとだからこそと思える、人間性のおおきな、抱擁力のようなものを感じずにはいられません。

 同じことを、次の一連の詩句にも感じます。
「どんな宗教でもないよりはましだ / 信じる事の中で / 人はより強く生きられる / 異教徒であっても否定してはならない / 信仰心を持つ人の方が / 困難と立ち向かう心を持っている / 私はどんな人とも朋(とも)になりたいから / 私だけの神様を持っている」

 死を前にして、いのちを凝視せざるを得ないまなざしにとって、諍いは、そのひかりを覆い隠し、貶める、虚しい行いでしかありません。



 埋没されていく記憶
           田川紀久雄


空は澄み渡っているのに
眼には視えない放射能が
風に乗って運ばれてくる
子供達の遊ぶ姿が何処にもない

神々が住んでいた山や川や海から
小さな生き物たちが姿を消していく
鳥たちの囀りも聴こえない
田畑も放置されたまま

誰も通らない桜並木
それでも今年も桜は咲いた
家族連れで歩いた桜並木
いまは人影がない
風が桜の花を空に舞いあげているだけ

思い出のアルバムも
あの津波で流された
過去の記憶はこの地上からは消え去ってしまった
あの世とこの世が
瓦礫の間を走る一本の道路で繋がれている
希望という言葉は
この荒れ果てた大地からはほど遠い
仮設住宅で人が亡くなって行く
(略)

空は澄み渡っているのに
何も変わらないこの現実に
哀しみの涙ももう出て来ない
フクシマの村に本当に帰郷ができるのだろうか
福島原発では相変わらず予期しない事故が起きている
四十年後にはどうなっているのかさえ解からない
子供達の遊ぶ楽しそうな聲がいつ聴けるのだろう
一日一日と遠ざかる原発事故の記憶が・・・・・・
           (二〇一三年三月二十一日)

☆ あの日から二年たち、三年たつのに、「福島原発では相変わらず予期しない事故が起きている」ことに、
詩人の心は、痛みを感じ続けています。とても悲しい詩句が涙となってこぼれます。

「思い出のアルバムも / あの津波で流された / 過去の記憶はこの地上からは消え去ってしまった」
「希望という言葉は / この荒れ果てた大地からはほど遠い / 仮設住宅で人が亡くなって行く」
「空は澄み渡っているのに / 何も変わらないこの現実に / 哀しみの涙ももう出て来ない」

 苦しみから、悲しみから、こぼれおちた涙であっても、ひかりをやどしていて、美しいということ、汚れがちな人のこころをあらいぬぐってくれること、涙の詩句を流し続け、伝えようとすることが、詩人の生き様だと、私は教えられます。

◎出典:田川紀久雄詩集『遠ざかる風景』(2014年2月20日発行、漉林書房)

次回も、田川紀久雄の詩、戦争へのまなざしを感じとります。


 ☆ お知らせ ☆

 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。
(A5判並製192頁、定価2000円消費税別途)
☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
☆ Amazonでのネット注文がこちらからできます。
    詩集 こころうた こころ絵ほん

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
    こだまのこだま 動画


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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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