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詩人・常山満と詩誌「ジュラ」(二)独自の魂をうたい、万人の魂を。

 抒情詩人・常山満(つねやま・みつる、1947年~2012年)が創刊、発行した詩誌「ジュラ」に彼が情熱を込めて書き記した詩論、詩への想いを読み返して、私の共感と詩想をこだまさせています。

 今回は詩人・常山満が、詩誌「ジュラ」の創刊号に掲げた「詩の存在価値と現代詩」です。まず出典から彼の言葉を引用し読みとり、呼び覚まされた私の言葉を続けます。

● 以下、出典からの引用です。

  詩の存在価値と現代詩

   詩は詩壇の為に存在するものではない。
   詩は大衆の為に存在するものである。

 一般大衆の日常生活に於いて、詩はほとんど不必要である。詩は実生活に対して、何らの生活上の糧をも提供するものではない。心身共に健康な人々にとっては、詩はむしろ病的であって、不健全で有害であると考えている人々さえもある。
 しかし乍ら人生の本質を考える時、人間は皆、魂の深い奥底で拭い去ることの出来ない空しさと淋しさを持ち合わせている。
(略)
 時々我々は人生の本質に触れなければならないことがある。その時の空しさ、寂しさ、悲しさ、苦しさをどうすればよいのであろう。普段は振り向きもされない詩がこの時初めて人々の前にその存在価値を現わすのである。
 読者が詩の中に求めるものは“自分”である。自分の心に潜む、潜在的魂の本質である。自分自身を詩の中に発見することだ。何故自分がこんな感情になっているのか、しかもその感情をどう処理してよいか解らない時、詩を読むことによって、その詩の持つ不思議な雰囲気が読者の心情を明示してくれた時、即ち自己と同一の心情をその詩に感じ取った時、その詩がその読者にとって初めて詩の価値を発揮した事になるのである。詩はその読者と一緒になって悲しみ、苦しみ、嘆き、淋しみ、そして慰め、勇気づけて、即ち心の糧となるのである。
(略)
 してみれば詩の社会的必要論(有用性)の見地からすれば、詩人はいかに多くの人々の心の糧となり得る詩を生み出すことが出来るかどうかと言う点に究極する。一人よりも二人、二人よりも三人、さらには一地域、一世代を超えて、時代を超越して、半永久的に人々の心に感動と、勇気と、慰めとを与えることが出来るかと言う事だ。その為には、詩人は独自の魂をうたうことによって、即ちそれが万人の魂をうたうことにつながらなければならない。即ち全ての人間の魂に潜在する本質の真理を詩に具備しなければならない。それなくしてどうして万人の心を動かすことが出来ようか。
(略)
(一九八六年七月「ジュラ」創刊号より)
● 出典からの引用終わり。

 詩誌「ジュラ」の創刊号に掲載しただけに、とても力のこもった文章です。常山満という抒情詩人が、ものごとの本質にまなざしを注がずにはいられない人であったことがとてもよく伝わってきます。

 冒頭の次の彼の言葉、私も詩はこのようなものだと考えていて、深く共感します。

 「一般大衆の日常生活に於いて、詩はほとんど不必要である。詩は実生活に対して、何らの生活上の糧をも提供するものではない。心身共に健康な人々にとっては、詩はむしろ病的であって、不健全で有害であると考えている人々さえもある。」

 詩はこのようなものです。詩歌、文学は心の海、心の森なので、さまざまな波の音楽、風の音楽を奏でてくれますが、本質を求めずにはいられない心性が根幹にあるので、歌謡、ミュージック、ポップスのように陽性、向日性がその基本ではなく、そのような健康なものまで含みつつも、より奥深い「病的な」宇宙の彼方までひろがっています。

 つづけて常山満は、詩のもう一面の本質をみつめ語ります。
 「読者が詩の中に求めるものは“自分”である。自分の心に潜む、潜在的魂の本質である。自分自身を詩の中に発見することだ。」

 とてもあたりまえだけれど文学、詩の根本にあること、読者は読むことで「自分を」、「自分の心を」探す心の旅をしているということ、誰のためにでもなく、作者のためにではなく、ただ自分自身のためにです。あくまで個人の意思による、強制によらない、自由な行為です。だからこそ、その行為の時間は、読者自身が確かに生きていると感じとれる時間です。

 その旅が疲れるだけのものか、どのようなものかは、その時間を生きることでしか、見つけられませんが、最良な旅であったとき、感じとれるもの、見つけられるものについて彼は語ります。

 「詩を読むことによって、その詩の持つ不思議な雰囲気が読者の心情を明示してくれた時、即ち自己と同一の心情をその詩に感じ取った時、その詩がその読者にとって初めて詩の価値を発揮した事になる」

 詩の価値。ほとんどいつも「不必要な」「病的な」詩だからこそ、孕んでいて、見つけることができる価値。

 「詩はその読者と一緒になって悲しみ、苦しみ、嘆き、淋しみ、そして慰め、勇気づけて、即ち心の糧となる」

 それは、「心の糧となる」、このことに尽きると私も思います。
 最後に常山満は、詩の読者としての視点から、詩人、詩を生み出す者の一人としての立場にもどり、詩の価値が生まれ出るのはどこからか、その泉の源にまなざしを注ぎ、自分自身に言い聞かせます。
 彼がここに記した言葉は、詩人としての私が、創作において、絶えず言い聞かせている想いそのものです。

 「詩人は独自の魂をうたうことによって、即ちそれが万人の魂をうたうことにつながらなければならない。即ち全ての人間の魂に潜在する本質の真理を詩に具備しなければならない。それなくしてどうして万人の心を動かすことが出来ようか。」

 常山満は、深く詩の本質をしる詩人だと私は思います。

● 私のホームページで詩人・常山満の詩を三篇紹介させて頂きました。

  詩「ジュラの風 ( 時折ぼくは― )」「ジュラの風 ( 長い白壁の― )」「明日の為に」
                               (クリックでお読み頂けます)

出典:『新潟魚沼の抒情詩人 常山満』(編者・寺井青、2014年、喜怒哀楽書房)

 次回も詩人・常山満と詩誌「ジュラ」をみつめます。

 ☆ お知らせ ☆

 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。
(A5判並製192頁、定価2000円消費税別途)
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    詩集 こころうた こころ絵ほん

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
    こだまのこだま 動画


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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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