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神谷恵の詩。詩集『てがみ』から

 作家・詩人の神谷恵(本名:崎本恵さん)は、私が心から感動した詩集『てがみ』(本多企画、1993年)の詩人です。
 私が心から良いと感じたいうことを裏返せば、現代詩詩壇では評価され難いということなのかもしれません。でも私は、この詩人の慎ましい性格から詩集の存在があまり知られていないだけで、心ある人なら出会えば必ず、魂が揺り動かされる詩集だと信じて疑いません。
 あとがきにある、詩人の言葉を抜き出すことで、この詩集から漏れ出る微光を伝えます。
「障害者や老人などの社会的弱者の不利」、「生きるもののいたみ」、「ひとりでは生きられないかなしみ」、「植物人間の父」、「ひとの生と原性の意味」、「聖格に対峙する原罪」。
 この詩集の言葉は、生きているかなしみ、苦しみにさらされ震えている声、絞り出され訴える声、嘆き、叫び、祈りそのものとなってここにあるので、安易な慰め、解決策、答えはありません。
 微かな、けれど柔らかな光のように、二篇の詩「生の良心」、「てがみ6 神様の石」で、この延ばされた手の先に触れ受け止めうるものが、美しくかなしい言葉にされています。
 読み終えても思いは深みで渦巻くように揺れ動き続け、救い、信仰について思いを沈潜させずにはいられなくなる詩集です。

 以上のように書き記しつつ私は、詩は作品そのものの響きが読者の心に伝わるしかないもの、と考えていますので、詩人神谷恵の魂に直接触れていただきたいと願い、詩集から一篇の詩「病室の海 霊安室から」を引用、紹介させて頂きます。


  病室の海 霊安室から

おばあちゃん おばあちゃん
誰かが呼び掛けたようでぼくはあたりをみまわした
そうか 誰もくるはずがない か

霊安室(ぼく)は今朝から独りの老婆を抱いている
この仏さまは新しい家が建った日から雨の日も雪の日もおにぎり一個をわたされ外に追い出され 夜だけ家に入れてもらえるというくらしだった 息子も嫁も孫たちでさえ 新しい家が汚れると言って ばあちゃんを追い出した あげくのはてが肺炎 付き添ってきたのは救急車の隊員だけだった

  仏さまになったばあちゃん ぼくの手足が冷たくてごめんよ それ
  にたった独りにさせて・・・  
  誰か来ると良いのにね ああ ぼくのことはかまわないでいいんだ
  よ そうさ いつまでだってばあちゃんを泊めてやるさ 心配はい
  らないよきっと誰かがたずねてくる 心配はいらない いままでだっ
  て遅れたことくらいあるさ 車の渋滞なんて珍しくないんだから

チビで不器用な それにうるさいほどおせっかいで泣き虫でぽっかぽっかにあったかい新米看護婦が仏さまになったばあちゃんの家に電話した

  逝ったの知ってるんですかって? わかってるわよ 忙しいのにそ
  んなことくらいでいちいち電話しないでください えっ 遺体をど
  うするのかって? 好きにしていいわよ うるさいわね あなたが
  泣くことないじゃない そんなにほしけりゃあなたにあげるわよ
  ああもう わかったわよ 取りに行けばいいんでしょ 取りに行けば

新米看護婦は ぼくの膝の上でねむっているばあちゃんの 髪を梳きながら 人間さまの業をかみしめながら哭いている

  君のせいじゃないさ 誰にだって重荷のひとつやふたつくらいはあ
  るものさ このばあちゃんは きっと 息子や孫や嫁たちの業を独り
  で引き受けたんだ 君が泣いてくれた だからばあちゃんは もう
  立派な仏さまだ

その日の夕方 葬儀社の若者二人がぼくの膝の上からばあちゃんを降ろしていった くわばらくわばら 飯の種飯の種 新しい洋風の家に仏間は似合わないんだとさ 説得力もなにもない言葉の余韻がぼくの部屋を満たしている あのばあちゃんの家族はとうとう一度もこの病院に姿を見せなかったけど ばあちゃんはこれからどこへ還ればいいのだろう よかったらいつでも遊びにおいでよ ばあちゃん ぼくの部屋は病室の海に浮かぶ艀(はしけ)みたいなものだけど 降り損ねたたくさんのひとたちでいつも埋まっている ほらそう言っている間に 男の子になる筈だった小さな小さな仏さまがまた遊びにやってきた

 次回は、神谷恵の小説『家郷』についての思いを記します。

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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