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詩が好き。書き手と読み手を結ぶ。

 今回は『イタリアの詩歌―音楽的な詩、詩的な音楽』の天野恵氏による「第3章イタリアの詩形」のまとめの言葉から、共感する言葉を拾い上げつつ思うことを記します。
 前回、芸術の創作の根底には、伝統を踏まえた個性による創造力が必ずあることを記しました。現在の日本の言葉の芸術をみつめると次のような傾向があるように私は思います。

1.短歌の創作。古来からの伝統にもとづく歌のかたちが出来上がっているので、形式において創造力を発揮できる余地はかなり限られている、語彙の意味とイメージの選択により個性を表現している。
2.詩・詩歌の創作。古来の漢詩とは断絶していて、和歌を否定し伝統を軽んじがち。西洋詩を模倣した新体詩、文語・口語自由詩は、伝統を踏まえることを捨て、調べ、歌、音楽を見失った。かたちがなく、どのようにも作れ、音楽性がなければ、行分け散文でしかない。
3.いわゆる現代詩。詩じゃない、歌じゃない、干からびた知性の自己満悦。

 否定的な言葉になりましたが、天野恵氏のイタリア詩についての次の言葉に、日本語で創作しようとする詩の書き手は耳を澄ませることが必要ではないかと私は思います。
「現代詩といえども、これを書いた詩人は古典的な形式や技法を熟知しています。」
「知識ではなく感覚でもってひとりでに掴むことのできる要素が多く、それらはいずれも古典的な形式となんらかのつながり持っています。」
 日本語で育まれた心にとっての五七調、七五調にわきでる快い感覚といったものです。
「規則をよく知っていて、そのうえでそれを無視するのと、もともと規則の存在自体を知らないがゆえにこれを守らない、というのはまったく違う。」

 和歌にも俳句にも漢詩にも新体詩にも文語詩にも、表現を豊かに美しくするための創意と工夫が満ちていて研ぎ澄まされた感性と波打つ心の情緒があふれています。詩が好きで、日本語が好きで、詩を書くのだから、私は培われたくみ尽くせない伝統の豊かさを学び感じとって、個性の創造力を高めたいと願っています。

 一方で、詩を読み、楽しむことは、どこまでも自由、気まぐれでよいと私は思います。だから、天野氏の言葉に私はとても共感します。
「韻律法の知識など一切無視してしまって、詩人の意図とは異なる、いわば《勝手な》読み方をしながら詩を楽しむことは十分に可能です。」
「作品が一旦作者の手を離れてしまえば、鑑賞者はそれを好きなように解釈し、味わえば良いのです。」
「《創造的な》鑑賞の仕方が広く行われている間が、その作品にとっては華」

 詩をいいなと感じ、好きだなと感じ、感動し、みつけ、喜べる、大切なのはそれだけだと思います。
 詩が好き、ただその心が、書き手と読み手を結んでくれます。

●以下は、出典の引用です。
第3章を終えるに当たって
 (略)20世紀以後のイタリア詩は、一般に本書で扱ったような古典的な形式に則って書かれてはいません。もちろん、そうした現代詩といえども、これを書いた詩人は古典的な形式や技法を熟知していますし、(略)そもそもイタリア語を母語とする詩人がイタリア語を母語とする読者に向けて書いたというだけで、すでに私たちには感じ取れなくても、イタリア人にとっては知識ではなく感覚でもってひとりでに掴むことのできる要素が多く、それらはいずれも古典的な形式となんらかのつながりを持っています。要するに、規則をよく知っていて、そのうえでそれを無視するのと、もともと規則の存在自体を知らないがゆえにこれを守らない、というのはまったく違うわけでして、その意味では、古典的な形式を持たない現代詩は、私たち外国人にとって伝統的な作品以上に受容が難しいことになります。
 では、私たち日本人にはイタリア詩を鑑賞する道は完全に閉ざされているのでしょうか。いや、そんなことはありません。韻律法の知識など一切無視してしまって、詩人の意図とは異なる、いわば《勝手な》読み方をしながら詩を楽しむことは十分に可能です。(略)これは詩に限らずすべての芸術作品について言えることですが、作品が一旦作者の手を離れてしまえば、鑑賞者はそれを好きなように解釈し、味わえば良いのです。さらに言いますと、ある意味ではそうした《創造的な》鑑賞の仕方が広く行われている間が、その作品にとっては華とも言えるのです。限られた専門家だけが、羊皮紙の写本に書かれたテキストをためつすがめつしながら、韻律法に従うとここはどう読まれるべきだとか、この部分の解釈は当時の用例からするとどうあるべきだとか、そんな考証にばかり熱を上げていても、作品自体が大多数の人々から見向きをされなくなってしまったのではどうしようもありません。

出典:天野恵「第3章イタリアの詩形」から。『イタリアの詩歌―音楽的な詩、詩的な音楽』(2010年、三修社)
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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