敬愛する作家の
崎本恵さん(詩人・
神谷恵さん)は、父と戦争についての私の思いと不思議なほど重なる
小説『時の疼(いた)み』を発表されています。
前回はこの小説が、戦争体験をくぐりぬけ生きた父を親不孝な娘が探し語っていること、についての私の思いを記しました。
今回はもうひとつの共鳴、
文学者として戦争をどのように書き伝えるかということについて、この小説を通して感じ得た私の思いを記します。
著者はこの小説で、優子の考え・物の見方だけを絶対化などせず、また父の目だけを絶対視せず、多様な登場人物の多面的な捉え方と反論のなかに、強弱をつけながら描き出すことで、自分だけが正しいという政治屋の押し付けがましい独善的な主張に陥ることを回避しています。これは小説だからできることです。
著者はこの小説に、
優子の父の手記というかたちで戦争のおぞましさを浮かび上がらせています。
私も、戦争についての思いを、従軍した祖父の日記を組み込むかたちの、次の詩作品を書いています。
詩『種子』(「詩と詩想」小詩集2003年7月号)。その時点での能力で精一杯書きましたが、作品としてはかたちをなしていない、もろさを残した未完成の作品だという意識を私はその後ひきずっていました。
昨年、もう一度見つめ直し書き直して、なんとか詩作品として完成させた詩が
「おばあちゃんの微笑み」です。
崎本さんが小説『時の疼(いた)み』で、同じ課題に取り組まれ作品化されていることを知って強く共感したのと同時に、詩はやはり心の、魂の歌なんだと、小説との違いを思いました。この小説の問いかけの深さは、小説というかたちで初めてできることだと思います。
作家・崎本恵は、心打つ魂の
詩集『てがみ』(1993年本多企画)の
詩人・神谷恵です。『時の疼(いた)み』には、小説でしかできない問いかけに、詩人の魂が注ぎ込まれていると私は感じます。
この小説の、優子の父の手記の、次のような魂の叫びに、私は心打たれずにはいられません。
☆ 優子の父の手記(略)我が子を目の前で八つ裂きにされたあの娘の喉を掻き切り血を吐くような悲鳴と嗚咽を、股の付け根から胸のところまで襤褸切れ(ぼろきれ)のように引き裂かれていた赤子の姿を、あなたは想像できるだろうか。半世紀経った今でも、私の目と耳からは消えないのだ。絶対に消えることはない。
(略)人間を獣以下にし、虫けらのように葬ってしまうのが戦争だとすれば、戦勝国も敗戦国もない。それは戦争に加担した全ての人間の罪だ。私は私の罪の分を背負い、生きている間にほんの纔(わず)かでもその償ひをしなければならないのだ…… 私個人は、人間は動物で虫けらと同等の生きものだと思っています。でもそうでありながら、そのことを知っていること、ただ無意味な殺し合いをしてしまう生きものとしての自らの姿を嘆き、悲しみ、避けたいと思えること、他のいのちと自分のいのちが同じようにあることを感じとろうとし、他のいのちを思いやることができます。そうしたいと願い行うことができる可能性をもっています。それが人間らしさです。戦争は、そのわずかな人間らしさをも剥ぎ取り奪います。だから私は戦争を憎み、罪ない幼子や優しい人たちまでをも戦争にひきずりこむ政治屋を憎みます。政治家は自らは死ぬことだけは上手に避け、若者に死ねと命じ、女性や幼子が死ぬことがわかっていて、見捨てます。戦争を避けるために死に物狂いで、じゃんけん勝負に合意させる政治家がいたなら私は心から尊敬します。その思いは
詩「ぴけ」を書いたときから今も変わりません。
著者の崎本恵は、これまでほとんど小説にされていない、戦争での加害者としての顔を敢えて描き出しました。でも次のことを見落としてはいけません。
この小説を発表した
『崎本恵個人文芸誌 ―糾う(あざなう)― 3号』(2008年8月1日発行)のあとがきで、著者は次のように記しています。
☆ 著者あとがき
世界を武力によって席巻しようとするナチスドイツへの恐怖心が大統領以下多くの科学者たちの心を蝕んでいた。ところが、完成した時にはドイツは降伏しており、日本も国土のほとんどが焦土と化し、降伏するのも時間の問題だった。もう原爆を使う必要はなかった。だが、トルーマン大統領はなにもかも承知で原爆を投下したのだった。長崎にまで。」 (略)。
その後もアメリカは世界の先頭に立って核開発を続け、詭弁を弄し、たくさんの国と地域で戦争を引き起こし、他国の無辜(むこ)の市民の命と財産どころか自国の兵士の命さえ奪い続けているではないか。原爆に限って言うなら間違いなく日本が被害者だ。だが、基督教国であり基督者だと豪語しながら、いまだに神も罪も知らない(知ろうともしない)国と指導者たちはもっと哀れな存在だ。(略) 著者の怒りと悲しみに私の心は深く共鳴します。そして峠三吉の魂の詩とも。このあとがきの言葉に響き合う
峠三吉の『原爆詩集』を次回から見つめます。
出典:
『崎本恵個人文芸誌 ―糾う(あざなう)― 3号』(崎本恵、2008年8月1日発行)。
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