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ルソー『エミール』(七)ユダヤ教、キリスト教、イスラム教

 ジャン・ジャック・ルソー(1712年~1778年)の主著のひとつ『エミール または教育について』(1760年)の第四篇にある「サヴォワの助任司祭の信仰告白」を読み、感じとり考えています。

 「サヴォワの助任司祭の信仰告白」から、ルソー自身の宇宙観、世界観、社会観、宗教観が奔流のように流れ、私の魂を揺さぶり、想い考えずにはいられないと強く感じる主題が述べられた言葉を引用し、私がなぜ共感したのか、どの言葉に惹かれ、どう考えるのか、私の言葉を添えていきたいと思います。
 どの主題についてもルソーが語っている言葉は、いまなお、向き合い想いを深めてくれるだけの、真実性を響かせていると私は思います。

 今回は7回目、ルソーがユダヤ教、キリスト教、イスラム教のあり方について根本的な批判を述べた箇所です。

 私は両親がプロテスタントのクリスチャンの家庭で、日曜学校で教会にも通い、新約聖書にも親しみ、「主の祈り」を最初に暗唱した詩と思い育ちました。
そのような私は世界史で知った、宗教戦争、十字軍の歴史に、かなり大きなショックを受けました。世界史は殺しあいと戦争の血塗られた年表だと感じました。

 ヨーロッパが世界だとそこに居住するほとんどの人が考えていた時代に、ルソーはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の特定の宗教だけを擁護せず、さらに述べています。

 「人類の三分の二は、ユダヤ人でも、回教[イスラム教]徒でも、キリスト教徒でもない。そして、モーセやイエス・キリストの話もまたマホメットの話もいまだかつて聞いたことのない人びとが、何百万人いることだろう。」

 ここでは引用はしませんでしたが、彼はこの箇所で続けて、日本人のことも、トルコのハーレムに囲われた女性たちにも想いを馳せ、それらの地の人が、ヨーロッパの三宗教を信仰すること時代の困難を考え、それにもかかわらず信仰しない者は地獄に落ちるという宗教が正しいといえるのかと、強く問いかけます。

 私は深い共感を覚えずにいられませんでした。アイヌの森で、アイヌの神々を信じた優しい民族の一人一人を、なぜ地獄におとせるのか? 私の愛する日本文学の紫式部、深く仏の心をさがした彼女をなぜ地獄におとせるのか? 貧しさに生きた農民、庶民、町民、工員が、生活の貧窮の果てに最期のよすがとしてすがりついた、仏、観音さま、祈りを、過ちだと断罪してなぜ地獄におとせるのか?
 私もルソーとともに、言わずにいられません。

 「つまり、そんなことは何も知らなかったという理由で、なぜあの人のよい老人を地獄におとすのか。あんな善良で、あんなに親切で、しかも、ただ真実だけしか求めなかったのに。」

 この切実な問いを簡単に切り捨てられるような者の言葉、教理を受け入れることは、私にはできません。ルソーの問いかけはさらに続きます。

● 以下、出典『エミール』第四篇「サヴォワの助任司祭の信仰告白」(平岡昇訳)からの引用です。

 はじめに唯一つの国民を選んで、そのほかの人類を追放するような神は、人間共通の父ではない。自分の手によって創られたものの最大多数の者を永劫の責苦におとしいれるような神は、わたしの理性が示してくれた寛大で善良な神ではない。
 (略)
 相互に排斥しあい、しりぞけあう多種多様なおびただしい宗教のなかに、かりに一つ正しい宗教があるとすれば、ただ一つだけが正しいのだ。だが、その宗教を確認するためには、一つの宗教を検討するだけでは不十分であって、宗教という宗教をことごとく検討しなくてはならない。そして、どんな問題についても、相手を理解しないで非難してはならない。
 (略)
 われわれはヨーロッパには、三つの主要な宗教[訳注:ユダヤ教、キリスト教、イスラム教]を持っている。一つはただ一つの啓示[旧約聖書]を認め、他の一つは二つの啓示[旧約聖書と新約聖書]を、残りの一つは三つの啓示[旧約聖書と新約聖書とコーラン]を認めている。いずれも他をいみ嫌い、呪詛し、盲目だとか冷酷だとか頑迷だとか虚偽だとかいって非難している。最初に三者の論拠をよく調査し、その論拠をよく聴いておかなかったならば、公平な人なら、三者の間に立ってあえて判定を下すことはできまい。
 (略)
 人類の三分の二は、ユダヤ人でも、回教[イスラム教]徒でも、キリスト教徒でもない。そして、モーセやイエス・キリストの話もまたマホメットの話もいまだかつて聞いたことのない人びとが、何百万人いることだろう。
(略)
 かりにほんとうに福音が全地球上に知らされるようになるとしても、それで人はどんな利益をうるだろうか。ある国に、最初の伝道師が到着した日の前日にその伝道師の説教を聞かないで死んだ者がだれかひとりはあるに違いない、ところで、その死んだだれかをわれわれはどうしたらよいのか。全世界に、イエス・キリストの教えを一度も聞いたことのない者がたったひとりでもいたとしたら、このただひとりの人間のための異議は、人類の四分の一の反対論に劣らず力づよいものとなろう。
 (略)
 あなたはわたしに二千年も前に、世界の向こうのはてに、何だか知らない小さな町に、ひとりの神が生まれ、そして死んだことを話す。そして、この神秘を信じなかった者はすべて地獄におちるといいきかす。自分の知りもしない人の権威だけにたよってすぐにも信じるとしたら、これは随分奇妙ななことではないか。どうしてあなたの神は、わたしにぜひとも教えようと思った事件を、なぜそんな遠い時代に起させたのだろう。地球の向こう側に起ったことを知らないのは罪悪だろうか。他の半球に、ヘブライ民族とエルサレムの町があったことを、わたしは推察できるだろうか。それは月世界で何が行なわれているかを、わたしに知れというにひとしい。あなたは、それをわたしに教えにきたという。だが、なぜそれをわたしの父に教えにこなかったのか。つまり、そんなことは何も知らなかったという理由で、なぜあの人のよい老人を地獄におとすのか。あんな善良で、あんなに親切で、しかも、ただ真実だけしか求めなかったのに。彼は、あなたの怠慢のために永久に罰せられなくてはならないのだろうか。まじめに考えてもらいたい。

出典:『エミール』新装版・世界の大思想2 ルソー(訳・平岡昇、1973年、河出書房新社)

 今回の終わりに私の詩「あどけない星魂の話をこだまさせます。(作品名をクリックしてお読みいただけます)。

 次回も、ルソーの『エミール』のゆたかな宇宙を感じとっていきます。
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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