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夢かうつつか『古今和歌集』の恋歌(三)

  『古今和歌集』の巻第十一から巻第十五には、恋歌が一から五にわけて編まれています。五回に分けてそのなかから、私が好きな歌を選び、いいなと感じるままに詩想を記しています。

 平安時代の歌論書についてのエッセイをいま並行して書いていますが、優れた歌論書、歌人に必ず感じるのは、彼自身が好きな良いと感じた多くの歌をいとおしむように、伝えようとする熱情です。
 なぜなら、好きな歌を伝えることは、彼自身の心の感動を響かせることでもあるからです。詩歌を愛する者にとって、それ以上の歓びはないように私は思います。

 今回は三回目です。一首ごとに、出典からの和歌と<カッコ>内の現代語訳の引用に続けて、☆印の後に私の詩想を記していきます。
 よみ人知らず、の歌が多くなったのは、好きな歌を選んだ結果で、意識的にではありません。心に響く歌を作者の著名度にとらわれずに選びました。

  恋歌三 (続き)

625 壬生忠岑
有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂(う)きものはなし
<有明の月がそっけなく空にかかって見えた、一晩中かきくどいても逢うことができないで帰って来た、あの別れの時以来、暁ほどつらく感じられるものはない。>
☆ どうしてこの歌に惹かれるんだろうと、読み返しながら感じるのは、まず、心情への共感です。つらいだろうと。もうひとつは、音調、調べの美しさで、有明(ARIAKE)、別れ(WAKARE)、暁(AKATUKI)が、母音アA音に前面に浮かび上がりながら、子音R音、K音が隠されて響きあって感じられます。作者が意識していたかどうかに関わらず、暁の音akaTUKIには「つき」「月」が隠れていて、「有明の」の詩句で浮かび上がった夜空の月のイメージを意識下でゆらめかせているように感じます。

635 小野小町
秋の夜も名のみなりけり逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを
<長いと言われる秋の夜も、実は言葉の上ばかりのことだった。思う人にいざ逢うということになれば、あっという間に明けてしまうものだから。
☆ 前出の歌の逢えなかったつらさとは対照的に、逢える喜びの時の過ぎゆく速さを歌っていて共感しますが、仮想で少し理が勝っている分、切実さは弱いと感じます。
「ことぞともなく」という言葉の音には歌の調べの流暢な流れのなかで、ゴツゴツした違和感を私は感じますが、逆に言えば小町はこの詩句をこそ強調したかった気がします。

637 よみ人知らず
しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞ悲しき<東の空が白くなり、ほのぼのと夜が明けていくと、それぞれ自分の着物を身につけて別れていくのが悲しい。>
☆ 前出の小町の歌に比べると、悲しみに切実さがあって、心に沁みて感じられます。調べも美しく、前半は、母音オO音を重ねながら、「ほがらほがら」という詩句が心に新鮮に響きます。後半の詩句「おのがoNoGa」、「きぬぎぬ KINuGINu」、「悲しきKaNaSIKI」は、子音K音、S音、G音と、母音イI音が、鋭く引きつる音で、意味とイメージをささえ響いています。N音も鋭さの谷間の静かさのように隠れ響いて感じられます。

644 人に逢ひて、朝(あした)によみて遣(つか)はしける    
  業平朝臣
寝(ね)ぬる(よ)の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな
<共寝をした夜の夢のような出逢いがはかなく思われて、うとうとしていると、ますますはかなくなっていくことだ。>
☆ 音調的な歌です。子音Y音、M音、N音の、やわたかな、ぬるりとした、まとわりつく響きが連なっています。「NeNuruYoNo YuMeohakaaNaMi MadoroMeba iYahakaNaNiMo NariMasarukaNa」。
もうひとつこの歌を言葉の音楽にしているのは、「はかなみ haKANAmi」、「はかなに haKANAni」、「かなKANA」、の同音の繰り返し、響きあいの快さです。歌人は詩句をこころのうちに探すとき無意識に音の記憶に導かれてこだまするので、業平が最後の詠嘆の詩句「かな」をえらんだのは、こだまの美しさに惹かれたのだと私は感じます。

645 業平朝臣の伊勢国(いせのくに)にまかりたる時、斎宮なりける人に、いとみそかに逢ひて、またの朝に、人やるすべなくて、思ひをりけるあひだに、女のもとよりおこせたりける
   よみ人知らず
君や来(こ)し我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てか覚めてか
<あなたがおいでになったのか、私が出かけていったのかよくわかりません。あの出逢いはいったい夢だったのでしょうか。寝ていたのでしょうか、起きていたのでしょうか。>
646 返し 業平朝臣
かきくらす心の闇(やみ)に惑ひにき夢うつつとは世人(よひと)さだめよ
<私もまっくらな心の闇にまどってしまってよくわかりません。夢か、現実かということは、世間の人よ、定めてください。>
☆ これら二首は、業平を主人公に、とてもドラマティックな、恋愛絵巻のようです。歌二首にも、濃密な逢瀬の記憶が塗り込められていて、日常の生活時間とは隔てられた、特別な時間、至高の愛の時間を、夢と現の境界、今と記憶をさ迷いながらも、おぼろに浮き立たせています。
 業平の歌の詩句「世人さだめよ」は、とても突飛な、日常生活では浮かばない、すこしキザな発想であるのも、逆に、二人の時間、ドラマに、日常、世人から隔絶された至純を与えていると、私は感じます。

652 よみ人知らず
恋しくは下(した)に思へ紫の根摺(ねず)りの衣(ころも)色出(い)づなゆめ
<恋しく思うのならば、心中ひそかに想っていなさい。紫草の根を摺(す)り染めした衣のように、人目につくようなことはけっしてするな。>
☆ 前出の業平の歌が、二人の秘め事を物語の場に託して、読者にあからさまにしつつ、共感を呼び覚ますのとは対照的に、恋人の、恋人どうしの、互いの胸のうちの秘めた想いが、紫色に染められて美しく響きます。末尾の詩句「ゆめ」は文法的には禁止の強い意味をもちますが、「YUME」という響きはとてもやわらかく、そのギャップに私は惹かれ、好きな言葉です。

出典:『古今和歌集』(小野谷照彦訳注、2010年、ちくま学芸文庫)


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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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