出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
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坂井修一(さかい・しゅういち、1958年・昭和33年愛媛県生まれ)。
見上ぐれば狂(ふ)れよとばかり山澄みていやおうも無しわれは立たさる 『ラビュリントスの日々』1986年・昭和61年
◎高く広大な山脈を目の前に見上げた時の感動が響く美しい歌。「狂(ふ)れよとばかり」、「いやおうも無し」という詩句が感動を強め、高めています。「立たさる」と受動態で終えていることで、自然を前にした自分の小ささと、自然に生かされているという、謙虚な想いが歌に沁み込んでいると、感じます。
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川野里子(かわの・さとこ、1959年・昭和34年大分県生まれ)。
ことばもてうつろふものとこゑなくて変はりゆくものいづれが哀し 『五月の王』1990年・平成2年
気まぐれな春の雪片われと子のはるかな間(あはひ)に生まれては消ゆ
こども抱く腕のふしぎな屈折を玻璃(はり)ごしにながく魚らは見をり
◎これら三首の歌からこの歌人が、生を外側から、彼岸から、遊離したものとして、斜視しているような眼差し、人間として生きていることへの違和感、死生観を感じます。
一首目は、言葉を持ち生き死んでゆく人間と、人間以外の生き物、無生物を、ともに変わりゆく、哀しいもの、と感じていて、共感します。やわらかな字形のひらがなを多く使っていることも、やわらかに流れゆく透明感を調べに静かに孕ませています。ただ二つの感じ「変」と「哀」がきらめくように浮き出して響いてきます。
二首目では、「雪」と「われ」と「子」を等しく感じています。「雪片」を「気まぐれな」と擬人化し、生まれては消えてゆく、まるで私と子のように、と感じています。「われと子のはるかな間」という詩句に、消えてゆくときは、雪のひとひらひとひらのように、別々に、離れて、という死への想念、この歌人の死生観がにじみだしています。
三首目は、「こども」と、抱く「私」と、「魚ら」を、等しく感じ、心が遊離するように、水槽のガラスの向こうで泳いでいる魚になって、魚の目で、「こども」と「わたし」を見つめ、感じています。「腕のふしぎな屈折」という詩句に人間という生物がこのような肉体で今あることの不思議さをこの歌人が知っていることがわかります。
三首ともに、人間を絶対視して、他の生物、無生物は人間が利用するためだけにあると考える人達に対して、静かに「ちがうよ」と伝えているように感じ、私は共感します。
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米川千嘉子(よねかわ・ちかこ、1959年・昭和34年千葉県生まれ)。
さやさやとさやさやと揺れやすき少女らを秋の教室に苦しめてをり 『真夏の櫂』1988年・昭和63年
ひるがほいろの胸もつ少女おづおづと心とふおそろしきもの見せに来る
劣等の感情われに突きつけて汗垂れて少年の噴くごとき黙
◎これら三首は、歌人が教師の立場で、教室という特殊な場所で、思春期の生徒たちと過ごした時間に生まれでた詩想を響かせています。教師である自分と教室と生徒を離れた外側から見返して、自問する意識と鋭敏な感受性から生まれた歌だと感じます。
一首目は、思春期の柔らかな心の少女たちを教室に閉じ込めて知識を詰め込み学力を競わせることを疑問に感じる思いが、それをしている自分への反省として流れています。とても音楽的な歌で、前半部は「さやさやさやさやSaYaSaYaSaYaSaYa」を初めに、子音Sの風のような音と、子音Y音のやわらかさが、「揺れやすき少女YureYaSukiShoJo」まで、思春期の少女の清純さを奏でています。後半部は、強くきつい子音K音が子音S音に加わり、母音イI音の引き締まる音と織り交ぜられ「やすきyasuKI」「秋の教室に苦しめaKInoKyoSHITunI KuruSHIme」と、問いかけの心の緊張感を奏でています。
二首目は、「ひるがほいろの胸」という詩句に、薄いピンクの花びらが咲く詩想が少女の乳房に重なり美しいです。母音の主調音はOオ音とUウ音の、閉じこもり内に向かう音です。「hirUgaOirOnOmUnemOtU shOjO OzUOzUtO kOkOrOtOfU OsOrOshikimOnO misenikUrU」、これだけ母音が連なると、歌はその母音の音色に染まります。
三首目は、歌われる感情の強さを、音が高めています。母音の主調音はやはり詩想にあったOオ音とUウ音、「劣等 reTTOu」「感情KanJOu」「突きつけてTUKITUKeTe」「汗垂れてaSeTareTe」「噴くごとき黙fUKUGOTOKimOKU」
、強く響く子音T音、K音と濁りのあるJ音、G音が耳に残ります。最後の詩句をKU音で強く断ち切っているので、歌の後に沈黙の無音が浮き出しています。思春期の少年を歌の響きで描き出したような歌です。
三首ともに、少女と少年をよく知り、感じとれる心からこそ生まれた良い歌だと感じます。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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