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田川紀久雄 『いのちのひかり』。純の果て、ムイシュキンの「白痴」の。

 詩人の田川紀久雄さんが新しく『いのちのひかり』(2013年8月15日、漉林書房、2000円)を出版されます。

 この本のカバー、表紙絵は画家であるご自身の作品、ゴッホの自画像ように、苦しげな、生に交錯する死を見据えた。文字によるメッセージが絵の色彩と形となり滲みだし広がっているように感じます。

 この本について著者は、生き方そのものに重ねて、あとがきに書き尽くしています。以下に抜粋します。

「あとがき」
 詩を書かずにはいられないから、詩をかいている。それが詩であるかどうかはわからない。だから詩集という文字は外してある。それは読み手が決めてくれると思っている。(略)自己満足と言われようがかまわない。
 末期ガンと宣告された時から、精一杯生きる事しか考えなくなった。(略)
 
 詩であるかどうかは、読者が決めてくれることだと、私も考えています。専門家が権威づけしたり学者が定義したり翻訳物の模倣度で判定したり人気者集団が宣伝したりするから、言葉が詩に変わるわけではありません。読者の心に詩の木魂が聞こえたら、それこそ詩です。

 この本には、著者の、生きてきた時間での、その時々の想いが、ふっと、浮かびあがります。私は著者が文学に惹きこまれたきっかけに、ドストエフスキーの『地下生活者の手記』があったことを知り、この小説に深く影響された者の一人として共感を覚えるとともに、次のことを想いました。

 田川さんは、ドストエフスキーが小説『白痴』で祈りを込め描きあげ息を吹き込んだ人物と似ている、ということです。
 ドストエフスキーが、読者の心に生きることを強く望んだ「本当に美しい人間」、白痴の、ムイシュキン侯爵に、生きざまが似ています。まるごとの人間性そのもの、心のありようが、とても似通っています。

 洗練されていると感じさせる詩作品も、その時々に流行りで飛びつかれる文芸も、数ヶ月、よくて数年単位で忘れ去られるものが多いのは、人間性そのもの、心のありようにどうしようもなく深く根差して生まれてはいないからだと私は思います。原稿料のため、人気のため、名のため。それはそれで良いけれど、それだけです。読者自身の「ぬきさしならない」いのちの前でそれらは一時の暇つぶしの読み物でしかないからです。

 「詩」と一般的にみなされている形には囚われない田川さんの言葉、詩かどうかは「読み手が決めてくれる」という想いには、著者自身の「ぬきさしならない」いのちが滲んでいます。
 なぜそうのか、そのようにしか生きられないのかは、この本の作品たちが教えてくれます。

 どの言葉も、ムイシュキン侯爵の言葉のように、戸惑い迷い悩んでいて弱々しげに自分を疑っています。悲しいほどに生き方が下手で、世渡りがまったくできません。幼児に似て。白痴に似て。

 でもだからこそ、彼は人間なんだ、本当に美しい人間なんだと、とり憑かれたように語るドストエフスキーの声が、『いのちのひかり』を読み返す私の心に聞こえてきます。
 見失いかけていたムイシュキン侯爵の姿、彼の生き方を敬う思いが、私の心に今も息づいていると気づかせてくれます。
 ムイシュキン侯爵がいま本を書いたら、とても純粋な素直な微笑みのままの、この『いのちのひかり』が生まれる気がします。ロシア語の。

 私の心が木魂した言葉を、とても自由に、以下に抜き出しました。読者ひとりひとりの方がご自分の心に生まれる詩の木魂を、この本から聴きとって頂けたらと願います。


● 以下はすべて田川紀久雄『いのちのひかり』からの原文引用です。かっこ内は「」は作品名です。斜線/は改行箇所です。

「そのひかりはどこから」
闇の中にもかならずひかりがある/観えるときも/観えないときもある/苦しみ悩み絶望している時/静かに祈りを捧げていると/闇のいちばん奥深い所から/微かなひかりがさしていることを感じる/そのひかりは何処から射して来るのか解からないが/苦しみをいくらか和らげてくれる/――さあ、勇気を出して/そのひかりの中から聲が聴こえる

「ひかりと妖精」
こんな私が社会に出ても何の夢も持てなかった/そしてあれほど書物嫌いだった私が/知らないうちに文学書に手を染めていった/そのきっかけは/誰が読んだのか知らないがわが家にあった一冊の本であった/それはドストエフスキーの「地下生活者の手記」である

「ひかりは夢を運んでくれる」
いま私が詩語りに打ちこんでいても/人のために役だってはいない
こころの詩を語ることで/愛を届けたい

「倖せと哀しみの中で」
どんなことがあっても心のひかりを閉じてはならない/自分自身に負けてもいいから/ひかりだけは閉じないでもらいたい/その小さなひかりがこれからあなたを活かしてくれる
あなたはあなた以外にはなれないのだから/いつものあなたでいてもらいたい/哀しい心の庭には美しい花々が咲き乱れている

「闇の中でもひかりを求めて」
誰からも相手にされない

「パラリンピック」
哀しみの中ではひかりが射しこんではこない/一度閉じられたこころは/なかなか開く事が出来ない/謳い 舞い 躍ろうが/ちょっとやそっとでは無理である
心の闇の中で/自ら松明に火を灯す/それが希望のひかりでなくても/消さないように燃やし続けるしかない
苦しみの中でしか味わえない歓びがある
人間の誇りとして闘っている

「あれから一年半」
出来ることと/出来ないことがある/でも一番たいせつなことは/愛するものへの慈しみではなかろうか
人間の欲望によって環境破壊がどんどん進んでいる/その中で放射能汚染がすべての生き物のいのちを破壊する/いまなお福島第一原発からは放射能が漏れだしている/即座に原発をゼロにできないでいる/人間達に置き去りにされた生き物の眼は虚ろだ
被災地に多くの人たちがまだ戻れない/放射能に汚染された土地では/住民が戻る夢は断ち切られている/その間に復興予算が別な所に使われていく/壊れ果てた港の復興はまだほど遠い
年に三万人の自殺者がいても/学校ではいじめがなくならない
眼の前にいる人を愛おしく思っていたい

「産聲」
川崎空襲の中で多くの人たちが亡くなっていった/私は母の背におぶされながら見ていた/その光景はまさに地獄図さながらであった
生まれたいのちは最初の一聲のなかに/苦しみと哀しみと歓びとの感情が込められている/七十を過ぎた今/生まれた瞬間の産聲に還ろうとしているのだろうか

「宇宙船」
小さな宇宙船の中で/憎しみ合い/殺し合い/その果てに/この船を壊そうとしている
だからいつの日にかこの宇宙船が消え去っていくのも自然なこと
いま身近な人を愛してゆくしかない

「生と死」
死は怖いから/魂はきっと生き続けると思いたい
母も父も私の中で生き続けている/だから私は墓参りなどしない
末期ガンと宣告されたときから/死のことを考えないようにしている/どう生きてゆくかだけを考えていた
父母に対しても/生まれてきたことに感謝ができるように/最期まで生を充実させていたい

「永遠のいのち
海の水は生き物たちの悲しみでしょっぱくなったともいえる」/それは愛に満ちた哀しみの涙かもしれない/憎悪は渚で洗い浄められてゆく/海鳥たちは雫を光の中に撒き散らしてゆく/取り残された干潟には稚魚たちが群れになって泳いでいる

「千年杉」
眠りの中で見る夢は過去も未来も今の中で輝いている

「自然のいとなみ」
なぜ生まれてきたのか/永遠の時の中では/そのような問いは意味をなさない/人間の生命はせいぜい七十年前後/その中で答えを見いだせるものではない
倒れた樹から地霊が湧き上がってくる/そのいのちの響きは/私の魂を揺さぶる/たった今が永遠の中に溶け込む

「未来へのひかりを求めて」
希望はいのちのひかりである/どんな小さな望みでもあれば/人は前向きになって生きていられる/そしてその望みが愛の絆に導かれていればなおさら良い/どんな絶望の淵に立たされていても/生きるいのちはその絶望感を越えていける
人は生まれた以上だれでも死を迎える/限られた時の中で/精一杯生きればそれで充分だ/生まれたことに感謝ができれば/死はすこしも怖くはない/希望はいのちのひかりである

「わかちあえるひかり」
魂の存在を喪った言葉には/だれもが見向きもしない
いま私は言葉を書き連ねているが/無性に哀しみにつつまれている
わかちあえるひかりを求めて/詩の言葉にいのちを吹き込むしかない

「愚痴はほどほどに」
この一回限りのいのちを愛しんでいくしかない/哀しくても苦しくても/それを受け入れることでその人自身になれる/生まれたことに不満をいっても/誰も助けてはくれない
自然は厳しい/生き物たちは生と死の狭間でいのちを削っている/一瞬の油断が生死の別れとなる
他のいのちを食べて/他のいのちを支える
精一杯生きていられればよい/それが困難な道ほど生き甲斐を感じる/楽な人生など少しも面白くなどない
生きたいように生きることだ/人生をいつかはさよならといわなければならないのだから

「いのちのひかり」
みんな生きている/みんな哀しんでいる/みんな苦しんでいる/そして/みんな愛している
眼の前の人の歓ぶ笑顔が/哀しみの涙を拭い去ってくれる
いのちは一人一人の心の中にひかりを発している


☆ お知らせ

田川紀久雄『いのちのひかり』(2000円税送料込) ご注文は、

① ハガキで、漉林(ろくりん)書房へ。 
〒210‐0852 川崎市川崎区鋼管通3-7-8 2F (問合せTEL:044-366-4658) 

② 書店へ、地方小出版流通センター扱いで、となります。
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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