今回は
「メリーのブログ」で詩を発表されている
田村よしみさんの作品を紹介します。田村さんは自称はしないけれど詩人だと私は思います。その名に値するのは、今心をこめて詩を書いている人、書こうとしている人です。(過去に書いた実績があってもその気持ちを失ってたなら今詩人じゃないし、詩の団体に所属しているかどうかなんて関係ありません。)
彼女の書かずにはいられない思いからあふれでた、心に響いてくる、心打たれる詩をみつめつつ、「本当にいい詩ってなんだろう? どこにあるんだろう?」という、根本的な大切なことを考えなおします。
私が感じとれた思いを最初に記したあと、詩作品は花束にしました。
『メリーさんの小詩集』として次の
8篇の詩を掲載させて頂きました。
詩「小さな私」、詩「生きる 殺す」、詩「ネキリ虫 」、詩「魂の海」、詩「鳥になったよう」、詩「わさび」、詩「お百姓さん」、詩「きらり 永遠」。(著作権は作者の田村よしみさんに帰属します)。
。
「メリーのブログ」に公開されているこのほかの詩のうち、私がとくに
好きな詩11篇は、タイトルを紹介しました。このブログには、表情ゆたかな良い詩がいちめんに咲いています。ぜひ訪ねてみてください。
商業詩誌に掲載される言語遊戯が上手いだけの無感動の残骸の現代詩は死んでいても、無名のブログに、日記に、詩心は咲き乱れている、と私は思います。本当に大切なのは詩が好きなこと、心が好きなこと、それだけです。
☆ メリーさんの詩について1.詩「小さな私」、詩「魂の海」 ――美しい魂の詩 最初に紹介するのは、私がとても美しいと感じる詩です。パスカルの『パンセ』のように宇宙のなか今生きている自分の生命を感じふるえだした素朴な言葉が、私の心をもふるわせてくれます。
詩は美しいもの、ここにはないもの、永遠、届かないものに手をのばさずにはいられない魂の音楽です。魂の海の波のゆれうごきです。そんな詩の本来の姿が、はだかでふるえているような、美しさを感じます。
◎ブログの、詩「見る」も、樹木や草たちに心がふるえ歌いだした美しい詩です。
2.詩「生きる 殺す」、詩「ネキリ虫 」 ――いのちをみつめる この2篇は、激しく、強く、心に迫ってきます。作者の自問、叫びが、とても痛く心を打たれずにいられません。
「ネキリ虫」を読むと、これが詩だと私は思います。詩は心がなぜか揺れ動いてしまう言葉、感動です。「神様残酷」以下の問いかけは、私の心の問いかけと完全に重なって、私の言いたくて言えなかった想いを言葉にして書いてくれている、と感じます。良い詩、本当の詩は、そのような心の響きあいを見つけだせる言葉だとも思います。
◎ブログの、詩「大量虐殺」 、詩「破壊」も、このテーマから目をそらさない、作者の真摯な心が迫ってくる詩です。
3. 詩「鳥になったよう」、詩「わさび」 ――愛する気持ち 「ネキリ虫」で作者は、激しい問いかけに押しつぶされそうになりながらも、くぐりぬけて、そばにいる人に「大好きだよ」と歌っています。この愛する感情の泉はこの作者のもう一面の魅力です。金子みすずのような感情の豊かさがとめどなく子ども心の純心さであふれだしてきます。
「鳥になったよう」は生まれたばかりの赤ん坊と母親のつながりを肉感的な濡れた手触りの言葉で詩にしています。
「わさび」は愛する思い、女性の感情が、まるごと込められ、揺れ動くままに、伝わってきます。感情のおおきく波打つ心から、愛のあふれる詩がたくさん花開き、咲いて、揺らめいています。飾らないまっすぐな言葉に、愛を咲かせて伝えあえる、人が、女性が、心が好きになります。
◎ブログの、詩「見つめる」、詩「私は一人」、詩「悲しい気持ち」、詩「さわってごらん」、詩「あなたに」、詩「夜明け」、愛の花がいろんな表情で、喜びに悲しみに生き、揺らめいています。
4.詩「お百姓さん」 ――共に生きる 作者の身近な人への愛する気持ちの心の波紋は、同じ時を生きている人たちへ広がっていて交わっていきます。知らない人たちのこだまを、わかろう、感じとろうとする、作者のやわらかな感性に浮かびあがる心の景色がとても鮮やかです。作者の心の声に、夕焼け空のようななつかしい優しさがひろがって、あたたかくなります。
◎ブログの、詩「氾濫」、詩「待ってるよ」の鎮魂の悲しみの言葉、思いやる心の優しさも、あたたかな良い詩だと私は思います。
5.詩「きらり 永遠」 ――新しい詩 新しい生まれたばかりの詩です。作者の魂がいま響かせている産声のような生命力をたたえた美しい歌声です。木々や草花の息づかいが聴こえてきます。心が澄んでゆく、まぶしい光が、浮かびあがる豊かな自然、心の森の情景にあふれ、歌声がどこまでもいつまでも、こだましてゆきます。
私の心の好みで詩を選び、感想を記しましたが、詩は読者ひとりひとりの心が感じとり響きあうもの、奏であう音色の自由さがいのちです。メリーさんの小詩集の詩と、ブログの詩から、美しい心の交わり、響きあいが、生まれひろがってゆきますように。
『メリーの小詩集』
作者:田村よしみ、 編:高畑耕治
小さな私恐いくらいきれいな星空だった
あの星は今も輝いているの?
もしかしたら遠い昔に燃えつきて
私の目に映っている光は
今はもうないのかもしれない
私たちの地球が
汚れていくように
ほかの多くの惑星たちも
汚れ無くなってしまったの?
私が死んだら
宇宙の不思議が見える?
知りたいな
何も知らない
小さな私
こんなに小さくて
でも生きているよ
あの宇宙の中を
漂ってみたい
ひとつひとつの星と
話がしてみたい
あんまり果てしなくて
終わりがなくて
終わりがないのに
私は存在している
ここにいる
どうして?
って聞いても
誰にもわからない
小さな私
私がいなくても
何も変わらない
そんな気がするけど
何かが変わるんだね
小さな私
私はどこから来て
どこへ帰ってゆくの
知りたいけど
知らなくてもいい
こんな小さな命が
たくさんあって
この宇宙を作ってるんだね
恐いくらいきれいな星空だった
恐いくらい・・・・・
魂の海ずっと遠い昔
すべての命はあの海に溶けていて
いつも交わり
たわむれ
ひとつだった
ある日
生まれたいって
小さな欲を命がもって
生命が誕生した
長い時をへて
私も生まれた
人間になった
心のどこかで
ひとつになりたいって
あの海に戻りたいって
魂がいつも
つぶやくんだ
離れてしまった命と
もう一度
交わり
まざりあい
溶けあっていたいと
戻りたい
淋しいと
いつか私のからだはくち
魂は戻っていく
今度は
生まれたいなんて
欲をもつのはやめて
戻っていこう
あの海に
この世界をじゅうぶん見たから
戻っていこう
あの海へ
もう淋しくないよ
あの海に溶けて
まざりあい
交わり
ひとつでいよう
いつか
私のからだが
くちはてる時がきたなら
魂の海へ
生きる 殺す生きる喜びを感じちゃいけない気がした
だってこんなにたくさん殺して
これからだって
ものすごくたくさん殺して生きてゆくのに
生きてるのが嬉しいって
思っちゃいけない気がした
私は殺すんだ
いっばいいっばい
これからも
ずっと先も殺すんだ
殺された者はもう笑わない
希望もない
殺すほうがずっと汚いのに
殺された者はもう笑えない
喜べない
だのに
殺した私は笑ってる
生きる希望を探してる
そんなのおかしいよ
だから生きてるの楽しいって
思ったらいけない気がした
どうしてみんな
あんなにたくさをん
私のために
死ななきゃいけなかったの?
どんな命だって
最後まで生きたいはずなのに
どうして?
誰か教えて
答えてよ
答えてよ
お願いだから
答えてよ
ネキリ虫 今日ネギの苗を植え替えるとき
たくさんのネキリ虫がいたの
からだの真ん中でプチン ちぎって
殺したの
イヤだった
悲しかった
何で私人間なんだろう?
って思った
でもね
あとで思ったの
別のところに埋めてあげればよかったって
でもまたそのあとで思ったの
別のところに埋めても
ネキリ虫は
またほかの草の根を切るんだろうなって
私が草取りするように
何のためかわかんないけど
切るんだろうなって
プチンて引きちぎられたネキリ虫
痛いだろうな? 悲しいだろうな?
引っこぬかれた草たち
痛いだろうな苦しいだろうな?
何で私生きてるの?
そう思った
プチンプチン
ちぎりながら
そう思った
神様は残酷
殺し殺される世界を作って
どうして
殺し殺されない世界を作らなかったの?
悲しかったから
その夜
子供にそのこと話したの
お母さんはいっぱいネキリ虫殺したのって
そのあと
子供に言ったの
大好きだよ
お母さんがもしこの世から消えても
みんなのこと大好きだよ
お父さんも
あなたたちも
大好きだよって
風になりたいね
みんなで風になりたいね
どこまでも飛んでゆける
風になって
ずっとみんなで
遊んでいたいね
そう思った
たったひとつだけわかっている真実
大好きだよ
あのとき
そう思ったこと
いつまでも大好きだよ
もう二度と
生まれ変わらないで
魂のままでいたい
鳥になったよう 生まれたてのあなたは
グニュグニュヌルヌル
あーでも忘れられない感触
私の腕のしたでチュチュと
オッパイを飲むあなた
まるで鳥になったよう
子育ては忙しい
でもこの忙しさが私には嬉しい
動物たちはみなせっせせっせと子供にエサを運ぶ
何も考えずエサを運ぶことだけを考えて
眠っていた私の本能が満たされてゆく
毎日は忙しいせっせせっせとエサを運ぶ
まるで鳥になったよう
わさびあなたを思うと
目の奥が
鼻の奥が
きゅーんと わさびになる
涙が思わず
あふれそうになるのをこらえて
ツンと
鼻の奥でこらえて
わさびと同じ
きゅーんをこらえて
唇をかむ
あなたを思うと
胸がぎゅっと絞られる
空き缶をぐちゃんってつぶしたみたいに
ペットボトルをクチャってつぶしたみたいに
痛いのをこらえて
顔をしかめる
あなたを思うと
山が笑う
春でもないのに
もこもこもこもこ
青葉が動きだし
花もなにもないけれど
もこもこもこもこ
山が笑う
あなたを思うと
からだの真ん中が痛いのに
あふれる思いが
あたたかい
お百姓さんお百姓さんはね
畑に 絵を画くんだ
種を蒔いて
お天道様とお話して
雨に笑ったり 泣いたり
お天道様にも笑ったり泣いたり
ひとつひとつの芽が
育ってゆくのを見守りながら
画家が絵を画くように
作曲家が音を奏でるように
オペラ歌手が唄うように
えがいているんだ
何をって?
心だよ
ひとりひとりの心を
ひとりひとりの場所で
工場で働く人も
デスクワークするお兄さんも
災害救助の自衛官さんも
与えられた物語を
美しく
心が えがかれてゆく
よこしまな心じゃ
黒く塗りつぶした絵になるから
心を きれいにして
心を込めて
お天道様に笑って人は
生きてゆくんだ
田舎の
お百姓さん
街のビル街で働く人だって
お百姓さんだよ
百の女が生きる
百の人が生きて
せいいっぱい生きて
お百姓さん
だからみんな
お百姓さん
きらり 永遠朝の光に木々が深呼吸する
木漏れ日に小さな草花が足もとでまたたく
何を待っているの?
誰を待っているの?
きらり
何も待っていない
誰も待っていないの
私たち
身をゆだねているの
永遠に
きらり
太陽が輝く
流れてゆこうとおくとおく
風がうたう
朝露が奏でる
森の歌
一つ 二つ 三つ
ポタ ポタ ポチャン
滴に目覚め草花は
木の株のそば
おおきく背伸びする
きらきらきらり
どこからか聞こえる
愛らしい歌声
きらきらきらり
みんな光るよ
いつまでも
どこまでも
きらきらきらり
永遠に
何も待っていない
誰も待っていないの
私たち
生まれて
生きて
死んでゆく
ここでずっと
今を生きているだけ
身をゆだねているだけ
永遠に
未来はわからない
何がおこるかわからない
何もわからない けれど
幸せよ
身をまかせたから すべて
永遠に
こわくない
悲しくない
今を生きてることが
ただ 嬉しい
きらきらきらり
みんな光るよ
いつまでも
どこまでも
きらきらきらり
永遠に
森の木々も
草も
風も
光も
影も
生きているものたちすべてが
歌いだす
きらきらきらり
みんな光るよ
いつまでも
どこまでも
きらきらきらり
永遠に
息づいている ここに
永遠が
すべてに身をまかせ
すべてに身をゆだね
きらり
光るよ
きらり
永遠
詩の出典:「メリーのブログ」から(© 2010 田村よしみ All rights reserved.)。
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飛んでまいりました。
同じく詞を書くものとして
いつもメリーさんの言葉に
惹かれています。