自由律俳句を己の人生に重ねた強烈な個性の俳人、
種田山頭火(たねだ・さんとうか。明治十五年・1882~年昭和十五年・1940年、山口県生まれ)を前回から見つめています。
出典から私の心に特に響いた句を選び、似通うものを感じた句にわけました。「☆放浪をうたう(一)(二)(三)」、「♪音楽的な、調べの歌(一)(二)(三)」、「★戦時の句」の7回になります。
今回は「☆放浪をうたう(一)」です。一句一句について、◎印の後に私の詩想を記していきます。
☆放浪をうたう(一) 分け入つても分け入つても青い山◎旅の行脚そのものを感じさせる句です。一歩一歩踏みしめる足取りと、奥深い山中の空気の緊張感と孤独が響いてきます。作者の生き様そのもの、生そのものを象徴しているようにも感じとることもできる魅力があります。
鴉啼いてわたしも一人◎奥深い山中で啼く鴉の声に、自らの姿がいやおうなく重なり、漏れでる「一人」という言葉が心に沁みます。この句も象徴に高まっていて「わたしも」に、読者は自分自身を重ねずにはいられません。
へうへうとして水を味ふ◎「へうへう」という詩句には、己の行為を外側から客観視する眼差しに生まれる、諧謔性とユーモアが生まれています。「旅していまこうして水を味わっている自分であること、生きていることへの不思議さの感覚、言い換えると感動が水のようにふるえていることが、散文ではない詩歌だと感じさせてくれます。
まつすぐな道でさみしい◎素直すぎる心の言葉であることが、最も強い表現だと教えてくれる句です。そのままの意味での共感に重なって、「まっすぐな道」という詩句から、生そのものの象徴性が、陽炎のように立ち昇っています。
木の葉散る歩きつめる◎「木の葉散る」、「歩きつめる」、ともに五文字五音に短く言い切られた簡潔な詩句が独立することで、なおさらイメージ、情景・旅の姿が、折り重なって心にひろがってきます。
踏みわける萩よすすきよ◎「萩」と「すすき」への心の呼びかけが、読者をその場に引き込みます。自分が「萩」と「すすき」にいま
触れ踏み分けつつ歩んでいるように感じます。
ひとりで蚊にくはれてゐる◎この句にも、自分の旅姿を客観視する眼差しを感じます。乾いた眼で、自分と蚊、いのちといのちを対等な重さのものとして並べ、見つめています。
笠にとんぼをとまらせてあるく◎対等ないのちとして置いているのはこの句も同じですが、この句は、とんぼを「友だち」と感じ、ひとときの瞬間の「友情」を響かせていると私は感じます。
しぐるるや死なないでゐる◎「し」音、「る」音、「い」音が、詩想に印象的に溶け込んで感じられる音楽的な句ですが、旅での雨の辛さ、苦しさに呼び起こされた後半の思いが、人生の象徴にまで高まって、心を打ちます。
また見ることもない山が遠ざかる◎感慨の深さが心を揺らします。もう二度と、再び「見ることもない」という別れの想いは、、人である限り誰にとっても切実で心に強く沁みる感情、感動であることを、思い出させてくれる、好きな句です。
次回は、種田山頭火の句をみつめる「♪音楽的な、調べの歌(一)」です。
出典『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房) ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。(A5判並製192頁、定価2000円消費税別途)
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詩集 こころうた こころ絵ほん イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
こだまのこだま 動画
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