詩人・
尼崎安四と彼の詩を、世に伝えようとした戦友、友人のことを前回に続き記します。
自由律俳句の俳人・
山田句塔もその一人、安四の戦友です。
句塔は自分が主宰した
雑誌「いずみ」(1968年・昭和五十三年四月に第一号、1988年・昭和六十三年二月・終刊号)の「終刊の御挨拶 山田利三」でその思いを次のように記しています。
細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号から引用します。
● 以下、引用
「(略)・・・・・・本誌発行の目的は第一に、詩人尼崎安四の顕彰にありました。『定本尼崎安四詩集』の発刊に伴ない、(中略)本誌創刊の意図もある程度果たすことが出来たものとして、本号を以て一応終刊といたします」(1987年・昭和六十二年十二月)。(引用終わり)●
ここに挙げられている
『定本尼崎安四詩集』は、
山田句塔や詩人・
諫川正臣の尽力、そして
弥生書房・津曲社長の意思で刊行されました。
今回も少し長い引用となりますが、出版の背景が記された諫川正臣の文章と、その中に挿入紹介されている歌人・
上田三四二の文章を引用します。友人と出版社社長の、この詩集の刊行実現に込められた想いの強さと、情熱、意思に、私は心打たれ、尊敬の念を覚えます。
● 以下、
諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」132号編集後記からの引用です。
★ 『定本尼崎安四詩集』の在庫が遂に無くなった。今後入手するには古書店で探すしかないだろう。本詩集の出版の経緯については既刊百十九号の編集後記に記載したのであるが、再度記載させていただく。句集や歌集の出版で名の通った弥生書房の故・津曲篤子社長は、安四の数編の詩を見ただけで「是非出版させてほしい」と出版を快諾された。三十年近く前に他界した無名の詩人の詩集を、自費出版ではなく、引き受けるというのは希有のことであった。津曲社長に話をもちかけたのは、安四の戦友で俳人の山田句塔氏だった。山田氏は自分の主宰する随筆誌「いずみ」を通して、生涯に亙り安四顕彰に努めた。この事は「既刊銀花」第七十五号に、『哀歌・戦友』と題して細井冨貴子氏が詳述されている。安四の詩集は本来もっと早く世に出すべきであったが、私が非力なため富士正晴氏に相談し、専ら野間宏氏の力に頼っていたが、なかなか埒があかなかった。大体、詩集はそう売れるものではないし、まして無名ともなれば、採算がとれないと考えるのも無理なからぬことである。兎に角、安四の詩は文句なく素晴らしいが、二つ返事で引き受けられた津曲社長も実に素晴らしい眼力の持ち主であったと思う。
★ 歌人の上田三四二氏が、一九八七年の群像三月号の巻頭に『詩人』と題して安四の詩を取り上げ、大いに評価している。「蛇の死」「微笑」「死の微笑」「お母さん泣くのはよして下さい」「魂は賎しい顔つきをして」「バリの踊娘」「夜襲行」「火砲」「微塵」などを特筆している。以下『詩人』の冒頭の部分を引用させていただく。
■ 上田三四二のエッセイ『詩人』からの引用。
世の中にはすくなくとも一人、自分そっくりの人間が居るという。そっくりというのではないが、尼崎安四の生涯を年譜に読んだとき、前方を歩いて行く自分の背中を見るような気がした。彼はひっそりと霧の中から来て、霧の中に消えていった。ほとんど無名に近かったこの詩人は、二冊の未刊詩集『微笑みと絶望』『微塵詩集』を遺して昭和二十七年に満三十八歳十ヵ月で死んでいる。白血病であった。初めての詩集『定本尼崎安四詩集』が世に出たのは、それから三十年近くたった昭和五十四年のことである。その年の秋に『愛のかたち』という評論集を出したのが縁で、版元である弥生書房の津曲社長が「こんな本がありますよ」といってくれたのが、『定本尼崎安四詩集』だった。珍しい名の、聞いたことのない詩人であったが、ページを繰って、惹きつけられるものを感じた。A5判、箱入、百ページそこそこのおとなしいつくりの本である。出版から四ヵ月が経っていた。「売れますか」と訊いてみた。「― 売れません」女社長は静かな声でこたえた。(上田三四二のエッセイ『詩人』引用終り)■
(諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」引用の続き)
篤子社長が他界されて平成二十年に出版部門は廃業となり、ご息女が在庫本の管理をされていた。このところ購入希望者が多くなっていたので、在庫がいつ切れるかと心配していたが、遂にその日が来てしまった。購入していただいた多くの方から感謝の礼状をいただいた。
津曲篤子氏のご厚情に深謝する次第である。
(諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」引用終わり)●
歌人の上田三四二の短歌については、エッセイを書いていますので、お読みいただけると嬉しく思います。
上田三四二の短歌(一)。一日一日はいづみ。
上田三四二の短歌(二)散文化した時代と、歌。
上田三四二の短歌(三)意味とイメージと音色とリズムは溶けて。
上田三四二の短歌(四)。山の稜線のような乳房のまるみのような。
上田三四二の短歌(五)あふれでる詩想の泉。
尼崎安四の詩の素晴らしさを感じとれる眼力を備えた歌人であったことは、彼の短歌を読むと、私にはよくわかります。
二人の詩心、詩歌を深く愛する魂が、木魂しあったのだと思います。安四が存命できていたなら、必ず上田三四二の短歌の良さを感じとれたと私は思います。
詩歌に垣根は本来ありません。詩歌を愛する者は、俳句も短歌も詩も、その詩心が偽りない真実を奏でていさえすれば、感動を感じます。上田三四二のエッセイはこのことを思い出させてくれます。
戦後に詩を書いた著名な人たちが、狭い「現代詩」のサークルに閉じこもり、詩歌の豊かさ、詩心を感じとる力を失い、尼崎安四、森英介という、詩人のなかの詩人を見出すことも評価することもできなかったこと自体が、その貧困さを晒しています。
マスコミの奢った、権威付けされたものにだけ寄りかかる心のない流し書きや宣伝文句を洗い流して、詩が好きだというただそれだけの純な詩心で見つめれば、詩歌は再び輝き響きだします。
次回は、尼崎安四が山田句塔にだした手紙をとおして、彼の詩想を感じとります。
■ 出典:諫川正臣 詩誌「黒豹」132号 編集後記。細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号
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