ジャン・ジャック・ルソー(1712年~1778年)の主著のひとつ
『エミール または教育について』(1760年)の第四篇にある
「サヴォワの助任司祭の信仰告白」を、全11回にわたり読みとり考えています。
「サヴォワの助任司祭の信仰告白」の流れの中から、ルソー自身の宇宙観、世界観、社会観、宗教観が奔流のように流れ私の魂を特に揺さぶり、想い、考えずにはいられないと感じる、主題が述べられた言葉を引用し、私がなぜ共感したのか、どの言葉に惹かれ、どう考えるのか、私の言葉を添えていきたいと思います。
どの主題についてもルソーが語っている言葉は、いまなお、向き合い想いを深めてくれるだけの、真実性を響かせていると私は思います。
今回は2回目、ルソーが自分をとりまく
宇宙に眼をむけみつめている箇所です。
最初の一文、まず「わたし」に眼を向け、「能動的で、知的な存在」であり「思考する名誉」をもつ人間としての自負についての言葉は、
デカルトの『方法序説』の「われおもう、ゆえにわれあり」という認識と、同じ地を踏みしめていると感じます。
そこから、目をあげ宇宙を感じる一文は、とても美しく、「わたしは一種の戦慄をおぼえる。」という言葉は、
パスカルの『パンセ』の「人間は考える葦である」というくだりに瞬く銀河のような言葉と瞬き合っていると感じます。
私は二十歳前後のさ迷った時期、精神的にかなり不安定になりつつ、「回っている地球の自転を絶えず感じる感受性に生きよう(感じられなくなったら死のう)」と思っていました。そんなわたしにとって『パンセ』の言葉はずっと大切なものです。
人間の思索が真実をとらえるとき、その想い、声、言葉が、時を超えて響き合っていることに、私は感動します。
今回の最後に引用した言葉も、とても美しく、私は深く共感し、心のこだまが鳴り止むことがありませんが、
そのなかでも私は、人間の真実を感じる次の一言がいちばん好きです。
人間として生きていることに、人間を取り巻いている宇宙に、おののくことができる感受性は、人間の眼差しと知性をも、謙虚さで洗い流してくれます。
「なぜ宇宙が存在するかということは、わたしにはわからない。」 洗われた心の目で見あげると、夜空、宇宙は、なんて美しいでしょう。いちめんに詩が瞬いています。
今回の最後に、
私の詩「天の川」をこだまさせます。(作品名をクリックして、お読み頂けます)。
● 以下、出典『エミール』第四篇「サヴォワの助任司祭の信仰告白」(平岡昇訳)からの引用です。 だから、わたしはたんに感覚的で受動的な存在ではなくて、能動的で、知的な存在である。そして、哲学がこれについてなんといおうとも、わたしは思考する名誉を持っているとあえて自負する。
(略)
わたしはいわば自分自身を確保したので、自分の外部のものを眺めはじめる。すると、自分がこの広大な宇宙のなかに投げこまれ、呑みこまれてしまい、あたかも無数の存在のなかに溺れたようになって、それらがなんであるかも、それら相互の間の関係も、またわたしにたいする関係もまったく知らないでいるありさまを凝視して、わたしは一種の戦慄をおぼえる。
(略)
この宇宙は運動している。そして、一定の法則に従った、その規則正しい、一様な運動には、人間や動物の自発的な運動に現われているようなあの自由がまったくみとめられない。世界は、だから、ひとりで動く一つの巨大な動物ではない。したがって、世界の運動には、何か世界に外在する原因があるのだ。それはわたしには認知できないけれども、内心の確信はこの原因をありありとわたしに感得させるので、わたしは太陽の運行もそれをおし進める力を想像しないでは眺めることができないし、また、地球が回転するにしても、それを回転させる手を感じるような気がするのだ。
(略)
つまり、ほかの運動によってひき起されない運動はすべて、自発的な意志的な行動から由来するほかはない。非生命体は、ただ[物理的な]運動によって動くだけである。それに意志のないところに真の行動はないのだ。これがわたしの第一の原理である。だから、わたしは一つの意志が宇宙を動かし、自然に生命をあたえているものと信じている。
(略)
動かされている物質がわたしに一つの意志を示すとすれば、ある種の法則に従って動かされている物質は、わたしに一つの知性を示す。これがわたしの第二の信仰箇条だ。行動し、比較し、選択することは、思考する能動的な存在のはたらきである。だから、その存在は実在するのだ。では、おまえはその存在が実在していることをなにによってみとめるのか、とあなたはわたしに尋ねるだろう。それがみとめられるのは、回転する天体や、われわれを照らす太陽のなかばかりではない。また、わたし自身のうちばかりではない。草を食む仔羊(こひつじ)にも、空を飛ぶ小鳥にも、落下する石にも、風に吹き散らされる木の葉にも、それはみとめられるのだ。
わたしは世界の目的はしらないけれども、世界の秩序については判断が下せる。
(略)
なぜ宇宙が存在するかということは、わたしにはわからない。しかし、どんなふうに宇宙が変化してゆくかは、認めないではいられない。すなわち、宇宙を構成するもろもろの存在が相互に助けあう内密な対応関係を認めないではいられない。
出典:『エミール』新装版・世界の大思想2 ルソー(訳・平岡昇、1973年、河出書房新社) 次回も、ルソーの『エミール』のゆたかな宇宙を感じとっていきます。
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絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
こだまのこだま 動画
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