私は二十歳で文学に生きようと思った頃、
草花、草木の名前 を、あまりに知らないと感じて、図鑑で花や木の名を覚えようとしたことがあります。でも手で触れたことのない、風と光に揺らめく色を、摘みとるときの香りを感じとったことのない花や木の名には、その文字数の音と文字の形しかなくて、思いと心に沁み込んでいないから、詩となって芽吹いてはくれないんだと知りました。
私のこころの土から顔を出し芽吹いて詩に咲いてくれた草花はみんな、子どもの頃、そして思春期に、この手で触れ匂いに包まれ揺らめく色が思いに焼つき、記憶の土の中で種となって育まれていたのだと気づきます。
私が好きな花と、その花の名が自然に芽吹いてくれた詩を、思い浮かべると、幸せな気持ちになれます。
好きな花の名と、咲いてくれた詩を、気ままに摘んで束ねてみました。(詩はリンクでお読み頂けます)。
詩「りんどう」 りんどう、むらさきつゆくさ。
詩「いかつり舟」 すずらん、さぎらん、かすみそう。
詩「ちゅうりっぷ」 チューリップ。
詩「おもいだしてよ」 桜、おおばこ、つくし、げんげ、稲の花。
詩「うたの花」 サボテン、野の花。
詩「まんじゅしゃげ あげはちょう」 まんじゅしゃげ。
詩「まりものゆらら」 まりも。
詩「白黒が、セピア色に染まるまで」 あざみ。
詩「菜の花のひと かもの愛」 菜の花、さぎ草。 その名をずっと知らずにいたので、私の詩には咲かなかった花もあります、
ゆきやなぎ、とても好きな花です。好きだけど、まだ芽吹いていない花が他にもあるな、と気づきます。種は元気でしょうか。
その名を呼ぶだけで揺らめく表情が浮かんでくる好きな花を思いに咲かせていられることは、愛しているひとを思い温かくなる気持ちと同じ、素敵なことだと思います。そんな花の種が自然に芽吹きつぼみがやわらかに開いてくれる詩を、私は届けたいと願います。
- 関連記事
-
- https://blog.ainoutanoehon.jp/tb.php/80-cc500409
トラックバック
コメントの投稿