詩は青春の文学であるのは間違いないと私は思います。詩の魂を20代、遅くとも30代半ばまでには燃やし尽くしてしまいたいとの夭折願望を私自身抱いて生きました。
今、40代の後半となり、それでも詩を心に抱き詩の魂を言葉に込めたいと願う私にとっても、励ましとなる詩人たちがいます。
高村光太郎は智恵子が亡くなってしまったときに、どん底の悲嘆の渦に智恵子を見失い戦争加担の詩さえ作ってしまったけれど、そのことを反省し内省する目を取り戻せたのは、亡くなった智恵子がなお光太郎と共にいて、見つめてくれていることを感じとれたからだ、と私は思います。光太郎は、智恵子のうつし身を彫像としてあらわし残すためだけに自分は生かされていると歌った
「裸形」をはじめ、智恵子への語りかけが愛(かな)しい
「智恵子抄その後」の連作を67歳で生みだし、74歳で亡くなる前年まで心に響く詩を創り出し続けました。光太郎をそのように生かしたのは、彼の智恵子への愛、智恵子の光太郎への愛が、智恵子が亡くなった後でさえ、息づいてあり続けられる、時間空間の制約を越えて交感しあえるものであったからだと、私は思い、ふたりを尊敬せずにいられません。(光太郎の詩「裸形」を「愛しい詩歌」に咲かせます。)
このように、詩の青春性と若さ、老いることと創造性について、思いを巡らせる今の私にとって、
萩原朔太郎の評論「俳句に於ける枯淡と閑寂味」の次の言葉は、詩人の本質を記したとても共鳴するものでした。書き留め、忘れずに、情熱を持ち、詩を生み続けたいと願います。
出典は、
『萩原朔太郎全集 第七巻』(筑摩書房、1976年)の俳論からです。強調箇所の紫文字は私が付けました。
「芭蕉以来、俳句に枯淡趣味はつきもののやうに考へられている。だが前に言ふ通り、それは決して邪道ではなく、各自の趣味によつて随意である。ただしかし、
真に一つだけ必要のことは、心の中の詩情までが、枯淡であつてはならないと言ふことである。芭蕉の一生は、最後まで烈しいヒューマニズムの求道だつた。一茶もまた終始を通じ、人間としての深い悩みを悩みぬいた。彼等は決して、心の詩情が枯れたところの、枯淡人としての詩人ではなかつた。詩に於ける「枯淡」といふことは、ただ趣味の上での問題にある。心の上の問題では無いのである。ここでつまり、言葉をかえて別に言へば、文学には「老人趣味」と言ふものがあり、そして「老人文学」といふものが無いのである。芭蕉の俳句には、たしかにこの「老人趣味」がある。しかし彼の
魂は常に若々しく、生涯を通じて青年的な情熱と、純一で水水しいリリシズムに充たされて居た。その青年性を喪失し、心の詩情を枯渇してしまつた人の作品は、単に抒情詩でないばかりでなく、本質的に文学と言へないのである。」
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