私の詩想を、ツイートからひろいあつめました。
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好戦的な憎悪表現を許容してしまい煽りさえする人物、集団が公共空間をさえ息苦しく歪め出している社会で。
好戦的にならずに、憎悪表現ではない、大切なものを溢れさせて、それら惨めなものを薄めていき、見えないわずかなものにできたらと、願います。
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大乗仏教の本を読みながら、古代インドの神々、釈迦、阿弥陀仏、観音菩薩、地蔵菩薩、大日如来など、アジア、この列島での、仏教をとおした宗教心について、想い、考えています。
時間と空間の果てしもなさ。
いまいるということ。
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わたしはクリスチャンの家庭で、新約聖書に親しんで育ちました。
ほんとうの宗教心は、攻撃的排他的党派的なものなど超えると思います。
他宗教、他宗派に対しても。他国に対しても。
慈愛、慈しみの永遠性を感じ想えば。
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芸術の美は、永遠を想う宗教的な心と、響きあう美だと、私は想います。
とても人間的な。
ほんとう、をさがしさまよう。
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死ぬことばかり考えていたときに絶望に傾く響きの言葉を書き、でも生きること選ぶことできたから。死ぬ瞬間までは、生きたい、愛したい、好きだと、ありのまま書くと誓いました。
ほんとうの、よい、美くしいもの、ひとの心、愛しあう喜びと悲しみ、見つけられなくても見つけたい探したい気持ちが好き。
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息苦しい言葉を、すみません。
驕る人間の愚かさ醜さをのぞけば、まぶたを、ひらけば、目覚めるたびに、世界も、生まれた生きものも、けんめいで、愛しいので、さだめられた時を私も、生きたい、感じたい、伝えあい、愛しあいたいと、願って、います。
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