ツイートした詩想の、落穂拾いです。
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和泉式部
つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来ん(あまくだりこん)物ならなくに
式子内親王
うき雲の風にまかする大空のゆくへもしらぬ果てぞ悲しき
敬愛する二人を読み返すたび、歌わずには、書かずには、伝えずにはいられなかった歌人の響きあう魂、深く通いあう詩ごころにうたれます。
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わたしの作品にときおり芽吹く、文字の流れるかたちの美しさへのこだわりは、根なし草ではなく、和歌の書の、散らし書きの美と、結ばれていることに、ようやく気づきました。
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藤原定家筆の古今和歌集(伊達本、笠間文庫)。定家の写本は平安かなと漢字のバランスがうたとしてみごとです。
漢詩もよく知る彼のかなと漢字の書き分け、例えば、雪、花、山、白露など、ひらがなのやわらかな流れに、選ばれた漢字がイメージの滴となって浮かびあがり光ることを知る感覚と表現の意思。
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定家の筆は独特な筆太で、無骨に思いもしますが、かなと漢字のバランスに優れるので、古今和歌集の仮名序も、読みやすいと感じるようになりました。「やまたうたは人のこころをたねとして」。「人」は漢字、他は仮名で彼は書いています。
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和歌の現代語訳の諸本も、校注者の、言語知識と読みやすさへの配慮や好みと感性と才能で、漢字とひら仮名の使い分けはまちまちです。
外国語の文学作品の翻訳がひとつの作品たとして訳者の文学力の表れであるのと同じだと私は思います。
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散文とはことなり、細部にやどる美、一文字のかたちにも、一音の響きと音色にも、一語の意味とイメージ、それらの連なりと断絶にもこだわることで、ひとのこころをあらわそうとし、あらわし伝えうるのが、うた、詩だとわたしは思います。
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書名 「銀河、ふりしきる」 高畑耕治
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