「永遠平和のために」(カント著、宇都宮芳明訳、岩波文庫)P88
「国家戦略をこととするひとびとは、実践を誇りとするが、実はかれらがかかわりあっているのはさまざまな策略であって、→かれらが思案をめぐらしているのは、ただ次のこと、つまり現在支配している権力におもねって(自分たちの私的な利益を失わないために)、国民や、できれば全世界をも犠牲にするということ」
まるで今の政権与党の描写のようです。
P91「(略)連中が、不正がひとびとの眼にあまりにも明らかでないかと恥ずかしがる、といった事態も生じない。というのも、強大な権力の所有者たちは、一般大衆の判断に対して恥じたりはしないし、恥じるとすれば、ほかの権力者に対してだけ(略)、かれらに残されているのはいつも政治的な名誉であって、(略)どのような仕方で獲得されるにせよ、かれらの権力の増大という名誉でしかないからである。」
カントは共和制が平和のためにかかせないと言います。
日本に危うくもまだ見掛けでは残されている立憲主義、民主主義です。なぜなら
P33「戦争をすべきかどうかを決定するために、国民の賛同が必要となる(略)場合に、国民は戦争のあらゆる苦難を自分自身に背負いこむ(たとえば、自分で戦う、自分自身の財産から戦費を出す、戦争が残した荒廃をやっとの思いで復旧する、(略)決して完済にいたらない負債を自分に引き受ける、など)の覚悟をしなければならないから(国民が戦争という)こうした割に合わない賭け事をはじめることにきわめて慎重になるのは、あまりにも当然のことなのである。」
だから彼は共和制が平和のためにかかせないと言います。日本に危うくも形は残されている立憲民主主義です。
「
平和状態は、創設されなければならない。」P27
憲法を軽んじる発言をする者、法を歪めて恥じない者、戦争を容認する考えを持つ者、権力におもねり私的な利益のために国民を犠牲にする者たちを、議員にしてはいけないと私は思います。
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